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- 2016/03/24 掲載
シドニー大学でも群を抜く中国人の存在感、ジャパノロジストの「日本経済論」で新風を 篠崎彰彦教授のインフォメーション・エコノミー(72)
豪州でも群を抜く中国人の存在感
英国のオックスフォード大学やケンブリッジ大学を模したとされる美しいキャンパス内では、ノート型PCや教科書類を小脇に抱えた学生が忙しそうに行き交っていた。その中でひときわ目を引いたのが中国人留学生の数の多さだ。
もちろん、オーストラリアで生まれ育った中国人学生(ABC: Australian Born Chinese)も一定数いるようで、すべてが留学生というわけではないが、大学関係者の話によると、中国からの留学生数はかなり増えているようだ。
天然資源に恵まれるオーストラリアは、資源需要が大きい中国との経済的つながりが深いが、そればかりでなく、次世代の人材交流も活発なようだ。美しいキャンパスが観光名所となっているせいか、中国人観光客を引き連れた大型バスの一団も加わって、シドニー大学訪問中は中国人の存在感が群を抜いて大きかった。
活力の源泉は人の数ではなく人材の多様性
シドニー大学で経済学部長(Head, School of Economics)を務めるコルム(Colm)教授との会談では、人材の国際交流について、興味深い意見を聞くことができた。大学をひとつのビジネス(産業)としてとらえると、所得水準を高めている中国は、人口の多さという点で、確かに魅力ある有望なマーケットだ。しかし、アカデミックな教育機関という観点からは、その数の多さが課題にもなり得るというのだ。教授のこの指摘には、思わずハッとさせられた。
確かに、大学が海外に門戸を広げて学生や研究者を受け入れるのは、本来、多様な背景と考えを擁する人々との幅広い交流によって、さまざまな知的活動に深さと広がりを培っていくためだ。決して数の多さを追い求めることが目的ではない。
次の時代を担う若い学生たちが接する外国人が一部の特定国に偏ると、その限られた接点だけでしか知的交流が行われず、本来多様なはずの国際性を偏った経験で形成しかねない。重要なのは「数」ではなく「多様性」にあるのだ。
関心は高いが存在感のない日本
コルム教授は、現実の経済は国際政治と無縁に成り立っているわけではなく、国際関係の文脈でとらえる必要があるとも指摘した。この認識から、アジア太平洋地域では、自由と民主主義に立脚した市場経済の国々を視野に入れて、学術と教育の人材交流を幅広く深めていくことが大切で、日本や韓国の役割は大きいと力説していた。オーストラリアでは、北海道のニセコがスキー観光地として人気を博しているが、これに限らず、日本の経済・社会・文化への関心が全般的に高いようだ。実際、日本語教育は以前から盛んであり、シドニー大学では現在も日本経済論が開講され続けている。
ところが残念なことに、その講義を切り盛りするのは日本人ではなく韓国人の学者という。教授は「我々の関心は高いものの、日本の大学はおとなしく(Japanese universities are quiet.)存在感がない」と漏らしていた。これは、日本にとっても大変な損失といえるだろう。
日本のことは日本人にはわからない?
この状況を何とか打開できないかと思いつつ、次に訪問したのがシドニー大学で日本研究を行っているレベッカ・ズーター(Rebecca Suter)講師の研究室だ。イタリア出身のズーター先生は、2014年に井上靖賞(Inoue Yasushi Award)を受賞した日本通で、研究室は文芸誌からアニメまで日本の文献で埋め尽くされていた。日本の食文化にも関心を持つズーター先生の視線は経済分野にも向かっている。というのも、世界的に有名なある飲料の多国籍企業が、諸外国では主力ブランド飲料に一点集中して市場を開拓するのに、なぜか日本では、お茶やジュース類など主力ブランド以外の商品も、幅広く手掛けて多角展開していることを不思議に思い、興味を持ったからだ。
この連載の第65回で紹介したハーバード大学のハウエル教授もそうだが、日本の常識に慣れ切っていたのでは気付かないことも、海外の多様な目でとらえ直すと活き活きと蘇ることが多い。
海外の日本研究者(ジャパノロジスト)は、日本に対する造詣が深いだけでなく、日本が抱える課題、さらには、世界の文脈からみた日本の長所などを鋭くとらえている。
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