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スティグラーの検索コストや
アカロフのレモン市場など、いわゆる「情報経済学」の基礎的概念について、価格情報の不完全性と質的情報の非対称性を解説してきた。今回は、その締めくくりとして、「エージェンシー理論」や「期待効用仮説」など、いくつかの派生した概念を整理して、現実の問題を考えてみよう。
エージェンシー理論とインセンティブ
経済活動で「情報」が問題になるのは、分業に基づく「交換」があるからだ。無人島に漂着したロビンソン・クルーソーのように、自給自足によって、何もかもすべてを一人で生産し、消費するのであれば、交換にともなう情報の問題は生じない(ただし、時間の概念が入った情報の問題=将来の不確実性は残る)。
分業で生まれる情報の問題は、依頼人と代理人の関係に整理して考えるとわかりやすい。たとえば、会社の営業戦略に携わる経営幹部が、実際の販売活動は営業員に多くを任せなければならないように、依頼人と代理人の関係は業務の分担によって必然的に生じるものだ。英語では、依頼人のことをプリンシパル、代理人のことをエージェンシーと言い、経営幹部はプリンシパルとして営業員に販売を任せ、営業員はエージェントとして販売を実践することになる。プリンシパルとエージェンシーの関係は、株主と経営者、店主と店員、施主と施工者、患者と医者、広告主と広告代理店の関係など日常の場面でもよくみられることだ。
こうした関係で生まれる問題を分析する枠組みとして、経済学には「エージェンシー理論」がある。
前回解説したモラル・ハザードは、「プリンシパル・エージェンシー関係」と「情報の非対称性」が同時に成立するときに生まれる。プリンシパル・エージェンシーの関係があっても、前者が後者の行動を完全にモニタリングできるならば「情報の非対称性」が生じず、モラル・ハザードの問題が起きないからだ。
それでは、完全なモニタリングが不可能な現実の経済活動で、プリンシパルとエージェンシーの分業関係から生まれるモラル・ハザード問題をどう克服することができるだろうか。解決方法を考える上では、インセンティブ(誘因)という概念が重要だ。これは、プリンシパルとエージェンシーの利害のベクトルが合うように工夫を凝らし、エージェントのやる気を引き出す仕組みのことだ。
たとえば、経営幹部と営業員の関係で、もし、営業員の給料が販売実績にかかわらず一定の固定給だとすると、営業員には頑張って売ろうという誘因が生まれにくいため、営業成績の悪い層では「努力しなくてもいい」という怠惰な気持ちが、また、営業成績の良い層では「努力しても報われない」という無力感が起きやすい。すると、会社の営業部門全体が「どうせわからないなら手を抜こう」というモラル・ハザードのムードに包まれてしまう。この場合に、固定給を抑えて販売実績に応じた歩合給を加算する報酬体系にすると、頑張って売ろうという誘因が生まれやすくなるだろう(もっとも、それが行き過ぎると、全体がギスギスしてチームワークが崩れるという副作用も生まれるが)。
医療問題では、患者は医者に治療を依頼するプリンシプルの立場にあり、医者は依頼を受けて治療を行うエージェントという関係になるが、治療法や薬の処方などについて、患者は医者に比べて専門知識=情報量が少ないので、「情報の非対称性」が存在する。この関係にあって、出来高払いの点数制で医療費が支払われると、不必要な治療や投薬によって医療費を高めるようなインセンティブが働きかねないとの指摘もある。この見地に立てば、風邪の治療なら一律いくらというように、疾病ごとに医療費が定額となる包括払い方式をとると、過剰な医療行為を防ぐインセンティブが働くことになる(もっとも、それによって、今度は必要な処置を怠るような手抜きのインセンティブが働かないよう、診療内容や治療実績に関する情報開示などの工夫も組み合わせないといけないが)。
「情報の非対称性」でたびたび話題になる保険市場では、保険の更新に際して、無事故や無疾病の場合に保険料を割り引くような商品設計もなされている。保険加入者ができるだけ事故にあわない(あるいは病気にかからない)ように努力するインセンティブを織り込んだものだ。このように、情報の問題から派生したエージェンシー理論やインセンティブなどの概念は、現実の問題を整理して考える際に有用だ。
危険中立者と期待効用仮説
さて、スティグラーやアカロフの議論を解説する中で、
「危険中立者」という言葉がたびたび出てきた。危険中立者が「期待値」で行動することの意味を、時給1,000円で10時間働いたアルバイト料金を次の4種類で受け取れる場合を想定して考えてみよう。
【アルバイトの報酬の受け取り方】
(1)素直に10,000円もらう
(期待値:1×10,000円=10,000)
(2)コインを投げて表なら8,000円、裏なら12,000円もらう
(期待値:1/2×8,000+1/2×12,000=10,000)
(3)コインを投げて表なら5,000円、裏なら15,000円もらう
(期待値:1/2×5,000+1/2×15,000=10,000)
(4)コインを投げて表なら0円、裏なら20,000円もらう
(期待値:1/2×0+1/2×20,000=10,000)
この例では、(1)が確実な所得なのに対して、(2)(3)(4)はコイン投げの結果次第で受け取り額が異なる不確実な所得という違いがあり、さらに、(2)(3)(4)のなかでは、コイン投げの結果によって所得のバラツキ具合が異なっている。4種類のどれを選ぶか、受け取り方の好みは人によってさまざまで、どの選択が正しいかを問題にしているわけではない。レストランの食事の後に、飲み物をコーヒーにするか紅茶にするか選択するのと同様で、ここでは、飲み物ではなく不確実性に対するその好み=選好の違いが問われているに過ぎない。見逃してならないのは、所得のバラツキ方が異なる一方で、期待値はいずれも10,000円で同じという点だ(
図1)。
バラツキの程度=散らばり具合を考えるときは、平均からの乖離=偏差をみるとわかりやすく、確率的なバラツキでは、期待値が平均と同様な意味を持つ。(1)では偏差が0、(2)では±2,000円、(3)では±5,000円、(4)では±10,000円ということになる。偏差を2乗した「分散」を「リスク」、「分散」の平方根をとった「標準偏差」を「ボラティリティ(変動性)」と呼ぶが、上記の場合、(1)はリスクもボラティリティも0で、(2)、(3)、(4)の順に高くなることが容易にわかるだろう((2)は分散が8百万で標準偏差が2,828、同じく(3)は50百万と7,071、(4)は14,142と200百万という値になる)。つまり、(1)はリスクが小さく、(2)、(3)、(4)の順でリスクが大きくなるのである。
「危険中立者」とは、期待値が同じならどれも同じ、つまり(1)~(4)までどれであっても同じだと考える人のことをいう。常に期待値で判断する「危険中立者」の行動が必ずしも合理的でないことは、「
セント・ペテルスブルクの逆説(※1)」として知られている 。このパラドックスを解くのが、所得の期待値ではなく、所得がもたらす「効用の期待値」で人々は行動するという「期待効用仮説」だ。
効用とは満足度のことで、「危険中立者」にとっては、期待値が同じならどれも同じ満足度だが、慎重なタイプの人にとっては、確実な10,000円が得られる(1)の満足度がもっとも高く、リスクの大きい(4)がもっとも避けたい満足度の低い受け取り方ということになる。このような効用をもつタイプを「危険回避者」と呼ぶ。逆に、ハラハラどきどきのスリルが味わえる(4)の満足度がもっとも高く、何のサプライズも起きない(1)は平凡でつまらないと思うタイプは、「危険愛好者」と呼ばれる。いずれも「所得が大きいほど満足度が高い」という点では共通しているが、リスクに対する好みの違いが行動の差となって表れるのだ。
同一人物でも、金額の大小や条件に応じてリスクに対する選好が変わるため、ある状況では「危険中立者」の人が別の状況では「危険愛好者」になったり「危険回避者」になったりするのは言うまでもない。
注釈
(※1)セント・ペテルスブルクの逆説
「ベルヌーイのコイン投げ」といわれる次のようなゲームを考えてみよう。このゲームでは、コインの表が出るまで投げ続け、裏が連続して出た回数に応じて賞金が増える。
・1回目に裏が出れば賞金は2円 | 1回目に表が出る確率=1/2 |
・2回続けて裏が出れば賞金22円 | 2回続けて表が出る確率=(1/2)2 |
・3回続けて裏が出れば賞金23円 | 3回続けて表が出る確率=(1/2)3 |
: | : |
・n回続けて裏が出れば賞金2n円 | n回続けて表が出る確率=(1/2)n |
このゲームでは、賞金の期待値は次のように無限大になるが、だからといって、ゲームへ参加するために100万円や1億円を支払ってもよいと判断する人は、ほとんどいないだろう。つまり、期待値が同じならどれでもよいと判断する「危険中立者」の行動は、必ずしも現実的とはいえないのだ。
(1/2)×2 + (1/2)2×22 + (1/2)3×23 + ・・・ + (1/2)n×2n = 1+1+1+・・・ + 1 = ∞
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