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- 2010/02/23 掲載
ソロー・パラドックスとは何か:篠崎彰彦教授のインフォメーション・エコノミー(15)
九州大学大学院教授 篠﨑彰彦氏
製造業の衰退という時代背景
のちに、ソロー・パラドックスといえば「情報化が進んでも生産性の向上が実現しない逆説」と認識され、それがさらに「情報化投資による生産性向上は、統計的に確認できるか否か」という実証研究上の論争へと展開していくが、もともと彼の問題提起は「1970年代以降に米国経済が直面した生産性の長期停滞の原因は一体何なのか」を探ることにあった。
Cohen and Zysman(1987)が出版された1980年代後半は、自動車や電機などの製造業を中心に、日本経済が優れた国際競争力とマクロ経済パフォーマンスを示すなかで、米国経済が停滞感を強めた時期であった。この点は、Baily and Gordon(1988)で示された生産性の下方屈折データに端的に表れている(図1)。CohenとZysmanは、経済のサービス化や脱工業化をはやしたてる当時の論調に対して、サービス活動は製造業の活動と密接につながっており、書名がまさに示すとおり「製造業こそが重要である」と主張した。
この本に対する書評の中で、ソローは、米国が日本や西ドイツ(当時)などと激しい国際競争を繰り広げながら、高い賃金や投資収益を確保し、悪化した対外バランス(経常赤字)を回復させるには、製造業の競争力再生が欠かせないと指摘した。サービス化や脱工業化というあやふやな議論に惑わされてはならないというCohenらの主張に一定の理解を示したわけだ。
しかし、次の点に関しては、Cohenらの主張を厳しく批判した。それは、研究開発や技術開発に積極的に取り組むことが生産性向上への道であると唱えられ、とりわけ、急速に勃興しつつあるマイクロ・エレクトロニクス分野の技術革新に対する産業界の取り組みが重要だと強調される点である。CohenとZysmanは、高度なエレクトロニクス技術やコンピュータ技術を導入した生産の効率化を「製造業革命」と称し、そこで重要なのは、技術そのものの可能性ではなく、その効果的な利用にあるとした。さらに、企業の投資行動が停滞し続けている米国は、こうした技術を資本へ組み込むことに失敗したのだと断じた。
>>次ページ バラ色の情報化社会論に対する懐疑から生まれたソローの問題提起
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