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配置転換や出向などで労働移動を促す日本型のシステムは、企業の「内部労働市場」を外部の企業や産業に拡張する仕組みだ。コロナ禍の現在だけでなく、石油ショックのような大きな経済危機の際にも見られた。当時は斜陽産業から成長産業へ「工場ぐるみの労働者移転」が話題になった。こうした取り組みで危機を乗り切ったことが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の称賛にもつながったようだ。しかし、そこには弱点もありそうだ。
2度の石油危機を乗り切った日本型システム
前回見たように、コロナ禍の緊急避難的対応として、日本の企業では社員の身分のまま別の会社に出向する取り組みが進められた。雇用調整助成金などによる政策対応に加えて、企業レベルのこうした取り組みがマクロ的には失業の急増を防ぐ一因になっていると考えられる。
これは「場」としての労働市場に「市場原理」ではなく「組織原理」を作用させる取り組みだ。裏を返すと、企業の「内部労働市場」を外部の企業や産業に拡張させるシステムと言える。
企業内部の組織原理が企業間の関係=
産業組織にも及んでいるわけだ。
こうした取り組みは現在のコロナ禍だけでなく、石油ショックなど過去の大きな経済危機の際にも度々見られたようだ。石油ショック当時は「斜陽の繊維産業から公共の自動車産業へ(中略)工場ぐるみの労働者移転」が進められ、「モデルケース」の出向促進策だと報じられている(日本経済新聞[1976・1977])。
この仕組みは、労働市場のみならず、さまざまな企業間の取引関係でも観察される日本型システムの特徴だ。日本企業の間では、価格を頼りに
スポット的な取引を繰り返す「市場原理」よりも、長期的な関係の中で安定した取引を継続する「組織原理」が重視される傾向にある。
ジャパン・アズ・ナンバーワンの要因とは
日本の企業・経済システムが国際的に注目を集め、積極的に評価されるようになったのは、1970年代に2度の石油ショックを乗り切り、ほかの先進国が深刻な経済の停滞に陥る中で相対的に良好なマクロ経済の実績を示したからだ。
今井・伊丹(1993)によると、日本の産業組織の動きにとって「1970年頃は重要な分岐点の時期」で、その後の2度にわたる石油危機が日本の産業・企業を大きく揺るがし、これに対応する中で日本経済が威力を発揮するようになったとされる。
これが「
ジャパン・アズ・ナンバーワン」の称賛につながったわけだ。その背景に
連載の第134回に解説した「中間組織の形成」と言われるような企業間関係があったとすれば、「場」としての市場で「市場原理」の作用を弱め、「組織原理」の作用を強めた成果と言えるだろう。
【次ページ】市場の失敗を補うのが日本型システムの優位性
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