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- 2021/02/18 掲載
誰が生活困窮者を救うのか?日本の辛すぎる「生活保護制度」の闇
生活保護、要件を満たしても支給されないケースが多い?
菅氏は2021年1月27日の参院予算委員会において、定額給付金の再支給について問われた。「予定はない」という答弁に加えて「最終的に生活保護がある」と説明したことから、各方面から批判の声が上がった。生活保護を申請することは国民の権利であり、制度の趣旨を考えれば、要件に該当する人にはすみやかに給付する必要があるのだが、現実は異なる。財政難から現場では支出を抑制する傾向が顕著となっており、申請しても給付されないケースが多い。
給付が邪魔される典型例は、「住所がないから申請できない」といって追い返されてしまうことである。生活保護は住所がなくても申請できる仕組みになっているし、制度の趣旨を考えればむしろ当然のことである。生活困窮者は賃貸住宅を追い出される可能性が高いので、住所がないと申請できないというのは本末転倒である。だが、多くの人は制度の詳細を知らないので、窓口でこのように言われてしまうと申請を諦めてしまう。
もう1つは扶養照会である。日本の場合、生活保護が申請されると申請者の親族に対して援助できるか問い合わせが行われるが、この仕組みは実質的に申請を諦めさせる手段として使われている。もし親族に援助できる人がいるのなら、とっくに援助を受けているはずである。親戚に頼れないからこそ生活保護を申請しているケースが圧倒的に多いはずだ。
親族との関係が良好ではなく、生活困窮状態を知られたくない人も大勢いるし、場合によっては親族から虐待を受けている可能性もある。扶養照会は重大な人権侵害を引き起こすリスクがあるため、先進諸外国ではほとんど行われていない。
欧州には手厚い社会保障制度が存在していることは多くの人が知っていると思うが、米国は弱肉強食で福祉がないというイメージを持っているかもしれない。だが現実には米国にも多くのセーフティネットがあり、日本における生活保護に該当する仕組みも存在する。
苛烈な競争社会である米国でさえ、要件さえ満たせば十分な水準の生活保護(具体的には食料配給券、家賃補助、低所得者向け医療保険、養育支援、給食無料券などの各種制度を総合したもの)が支給されるし、人口あたりの社会保障予算も実は日本よりも多い。
一連の現状を考えると、日本の生活保護というのは、権利として受け取れるものというより、親族など周囲の人がすべての犠牲を払って困窮者の面倒を見ることが求められ、それでも生活できず、生存に関わるような状況にならなければ支給しない制度に見える。
日本の社会保障制度の問題点
上記の説明は半分は本当であり、実は日本の社会保障制度というのは、年金も含めて基本的に家族や親族が面倒を見る「私的扶養」を社会化する形で発展してきた。一方、欧米社会では親族間扶養を前提にすると、虐待などの犯罪が発生する可能性があるため、家族と個人を切り離す形で制度が組み立てられている。表面上同じ制度に見えても、欧米の社会保障とは根本的に異なる仕組みと考えた方が良い。
菅氏は首相就任にあたって自らが掲げる社会像として「自助、共助、公助」と述べて批判を浴びたが、現実問題として日本の制度はそうなっており、菅氏の発言は制度をそのまま説明しただけに過ぎないと解釈することもできる。
こうした背景があることから、日本の生活保護は給付が必要な人全員を支援する予算にはなっていない。2018年時点における生活保護受給者数は約210万人で、生活保護への支出は約3兆7500億円となっている。
一方、日本の相対的貧困率は15.7%と米国(17.8%)並みに高く、フランス(8.1%)やドイツ(10.4%)を大きく上回っている(OECD調べ)。この調査で貧困状態と分類される人は何らかの支援が必要であり、日本では6人に1人がこれに該当する。これに対して生活保護の支給を受けている人はわずか210万人なので、支援が必要な人のほとんどが対象外となっていることが分かる。
諸外国の場合、仕事を持っていると貧困から抜け出せるケースが多いが、日本に顕著な特徴としては、有職者でありながら貧困層にカウントされる人が少なくないことである。これは最低賃金など、労働法制を守らない事業者が多いことを示唆しており、実は重大な社会問題と言える。
同様に子どもの貧困が深刻というのも日本ならではの特徴だが、シングルマザーを中心に、仕事があっても生活できない人が多く、これが子どもの貧困率を上げる結果となっている。
【次ページ】国家ではなく企業がセーフティネットに……これで良いのか?
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