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東芝が経営再建策として、総合電機の看板を下ろし、3社に分割するスキームを選択した。総合メーカーというのは聞こえは良いが、現実には多角化による弊害も多く、むしろ成長の足かせになってきた。ほぼ同じタイミングで米GE(ゼネラル・エレクトリック)やジョンソン・エンド・ジョンソンも分社化を発表しており、今後はコングロマリット解消の流れが加速すると予想される。
コングロマリット・ディスカウントの弊害
東芝は経営危機に直面しており、市場からは抜本的な経営再建策の提示が求められている。当初、同社は非上場化による事業再編を目論んでいたが、最終的に選択したのは3社分割であった。
同社は2021年11月12日、インフラサービス事業、デバイス事業を別会社として分離し、東芝本体はキオクシアと東芝テックの株式を保有する企業として存続させるスキームを発表した。フラッシュメモリーを製造するキオクシアはすでに米国ファンドが株式の過半数を所有しており、売却か再上場が見込まれている。最終的にはインフラ、デバイス、POSシステムを手がける企業に3分割される。
今回のスキームについて一部からは、東芝の解体であり総合メーカーとしての実力が発揮されなくなるとの指摘が出ているが、多角化された事業を持つコングロマリットの総合力というのは、たいていの場合、情緒的レベルの話であり、現実には多角化がもたらす弊害の方が圧倒的に大きい。その点では、今回、3社分割が決まったことで、東芝はようやく各事業が持つ潜在力を発揮できる環境が整ったと言える。
コングロマリットがもたらす最大の弊害は、いわゆるコングロマリット・ディスカウントと呼ばれる時価総額の低下だろう。事業を多角化すればするほど、会社全体の利益と各事業部の利益が相反するケースが増えてくる。
ある事業部の取り組みがほかの事業部の利益を侵害する場合、その事業が画期的であっても採用される確率は下がる。こうした事業部ごとの利益相反が全社的な収益を犠牲にするので、各事業部が単体で上場して得られる時価総額よりも、コングロマリットとして上場した場合に得られる時価総額の方が小さくなるケースが多い。これがコングロマリット・ディスカウントである。
日本では総合メーカーの経営者が、「総合力を発揮」「各部門のシナジー効果」といったプレゼンを行っているが、具体的にどの事業とどの事業がシナジー効果を発揮し、具体的にどの程度の収益拡大に寄与したのかついてロジカルに説明できるケースはほとんどない。では、なぜこうした具体性に欠ける言説が通用していたのだろうか。それは昭和という発展途上だった時代の名残りと考えて良い。
一般的に巨大なコングロマリットというのは、経済が未成熟な途上国で発達しやすい形態である。途上国は資本や技術の蓄積が十分ではなく、企業が生み出す製品やサービスも単純で付加価値の低いものが多い。こうした経済構造の場合、特定の大資本があらゆる業種を手がけた方が効率がよく、コングロマリットを形成しやすくなる。アジアの途上国では、いわゆる財閥企業があらゆる業種を手がけるケースが良く見られたが、これは典型的な途上国型コングロマリットである。
総合企業というは典型的な途上国的形態
日本も昭和の時代までは、国内経済の一部に途上国的要素を残しており、財閥グループであったり、総合メーカーであることのメリットが存在した。たとえばパナソニック(旧松下電器産業)は、徹底した事業部制で有名だったが、それは同社がM&A(合併・買収)によって事業規模を拡大させてきた歴史と密接に関係している。もともとは違う会社だったことから、創業者である松下幸之助氏は、各事業部をあたかも別会社のように自由に経営させていた。
中には複数の事業部で競合する製品を開発してしまい、市場を奪い合うというケースも珍しくなかったが、当時は、開発に高度なイノベーションを要する製品は少なく、市場全体も拡大していた。仮に事業部間で競合や利益相反があったとしても、全社的に大きなマイナスにはならなかったのである。
事業部制と言えば、世界的には米GM(ゼネラルモーターズ)が有名である。GMは自動車メーカーという点では専業だが、徹底した事業部制が敷かれ、各ブランドは個別にビジネスを展開していた。これは自動車産業の黎明期で未成熟だったという当時の市場環境と事業部制の親和性が高かったことが主な理由だが、それ以上に大きいのがパナソニックと同様、GMという企業が出来上がった経緯である。
GMの母体はビュイックという会社だが、キャデラック、ポンティアック(オークランド)、シボレーなどを次々と買収して現在の会社形態になっている。それぞれの企業が生産していた車種はそのままブランドとして残っており、各ブランドの特徴を先鋭化するためには事業部制の方が都合が良かった。
GMのケースを見ても分かるように、コングロマリットあるいは多角化というのはその企業の歴史との関係が深く、必ずしも経営的な合理性で決断されているとは限らないのだ。
各事業部のビジネスに必要となる製品やサービスについて、自社の事業部で提供しているものを採用すれば、外部企業に資金を流出させずに済む。こうした事情からコングロマリットが効果を発揮していた時代もあったことは間違いない。だがこうしたコングロマリットがもたらすメリットというのは、あくまでも発展途上の経済という前提条件付きであり、牧歌的な時代でのみ通用する概念である。
現代はイノベーションがかつてない水準まで活性化しており、いわゆる「何でも屋さん」が通用する世界ではなくなっている。
たとえばグループ内にIT部門があった場合、自社のシステムを構築する際には、自社のIT部門に発注していたかもしれない。だがIT業界の開発競争は熾烈であり、最終的には数社の寡占状態になるまで企業は淘汰されていく。こうした市場環境においては、IT企業はIT専業として全力で競争を勝ち抜くしかなく、ユーザーとしても、トップに立っていない企業のシステムを利用することは、たとえ自社のサービスであっても不利に働く。
さらにやっかいなのは、コングロマリットの形態を無理に維持すると、経営がぬるま湯的な体質になるリスクが高まることである。
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