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2020年8月、井筒屋黒崎店(北九州市)が閉店を迎えた。2019年2月には小倉駅前のコレット井筒屋も閉店、地方百貨店の雄、井筒屋ですら地方百貨店の衰退は止められないようだ。同様に山形県でも2018年1月に十字屋山形店が閉店、2020年1月には山形県内の老舗である大沼百貨店が経営破綻し、百貨店の存在しない初の都道府県となった。留まることのない逆風が吹き荒れる地方百貨店に、何が起こっているのか。その背景には、地方百貨店の「市場消滅」があった。
2000年以降、縮小する百貨店市場
百貨店の歴史は諸説あるものの、19世紀パリに遡り、産業革命による富裕層の増加を背景に、高級小売業態が開発されたと言われる。続いてアメリカでも百貨店業態に転換する小売事業者(たとえばメイシーズなど)が現れ、高級志向と都市の人口増加を軸に、発展・拡大していった。
日本においては1904年、三越呉服店が「デパートメントストア宣言」を発し、百貨店の歴史の幕を開けた。その後、人口増加や経済発展の波に乗り、各地で百貨店が誕生した。
庶民のあこがれとして、小売業の頂点に君臨するも、百貨店市場は1991年をピークに減少を迎える。その後、店舗面積の増加に伴う復活(1996~97年)はあったものの、店舗面積も2000年をピークに減少を続けている。
地方百貨店の衰退の理由
こうした市場消滅の背景には、「消費者の百貨店離れ」と「人口構造の変化」があった。
百貨店に関する消費者アンケートを実施すると、若者からは「敷居が高くて入りづらい」と言われ、よりカジュアルに接することができる専門店やショッピングセンターの方が利用しやすいと感じられている。逆に中高年からは、「昔はよく利用したが最近は利用しなくなった」と言われ、利用用途が減った、もしくは身体的にも店舗へ行くことが難しくなったという事情がうかがえる。
百貨店利用者を分析すると、年齢構成は中高年に偏っており、百貨店があこがれの場所として君臨していた時代に育った客層が百貨店を継続利用している一方、若者を中心に百貨店離れが進んでいる。
冒頭で取り上げた井筒屋においても、主戦場である小倉駅には「アミュプラザ小倉」など新興勢力が勃興しており、またECの台頭が「消費者の百貨店離れ」を加速させていると言える。
次に人口構造変化について考察してみたい。日本の人口は2005年をピークに減少が始まっているが、それ以前から出生数低下による少子化と高齢化率は高まっており、若者が歳をとったら百貨店に行くようになるわけでもないため、結果として百貨店の市場消滅は進んでいたと考えられる。そして、今度は人口自体が減少してきたため、さらに厳しい局面が続いている。
幸い、インバウンド施策の影響もあり、大都市を中心に人口減少の影響を抑えてきたものの、地方ではそうはいかなかった。
緩やかに市場消滅する「北九州・山形」
井筒屋が主戦場とする北九州市は、日本の政令指定都市の中でも最も早いスピードで高齢化が進むと言われており、今後も厳しい状況が続くことが予想される。また、山形においては、市内で先に店舗閉鎖した十字屋山形店の残存利益を享受すると思われていた大沼百貨店が閉鎖した。
その背景には大沼・十字屋共に近隣地域への昼間人口の流出が考えられ(大沼・十字屋は山形から仙台へ)、市場消滅を加速させていた。井筒屋においても北九州市から博多への昼間人口の流出が顕著であった。
こうした2つの外部要因により止まらぬ収益低下を前に、地方百貨店は企業努力で踏ん張ってきたものの、最終的には老朽化が進む店舗資産の刷新という避けがたい投資に直面し、市場退出の決断に踏み切らざるをえないことが多かった。
これからも少子高齢化とコロナ禍を通じて、地方百貨店の市場消滅は加速していくと思われるが、こうした中、地方百貨店はどのように対処すれば良いのだろうか。
【次ページ】急速に消滅する市場…対処法はあるのか? 市場撤退を判断すべきタイミングとは?
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