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- 2010/03/17 掲載
ITは生産性向上に寄与していない?:篠崎彰彦教授のインフォメーション・エコノミー(16)
九州大学大学院教授 篠﨑彰彦氏
バラ色の情報化社会論に対する懐疑
ソローの書評が出た1980年代は、バラ色の情報化社会論が華やかに繰り広げられており、彼のコメントはその楽観的な展望に対する痛烈な一撃となった。
1980年代は、かつて未来論、文明論的な文脈で遠い将来の話として語られてきた情報化社会が、より具体的で現実的なイメージを伴って身近に意識され始めたころだ。2度のオイル・ショックで、資源やエネルギーを大量に使う鉄鋼や化学などの重厚長大型の産業が限界に達し、省エネルギー型の自動車製造や半導体などの電子機器製造が新しい産業として伸び始めた時期にあたる。
コンピュータ産業では、集積度の増したIC(集積回路)を利用して、小型のPC(パーソナル・コンピュータ)が出回り始め、大型計算機メーカーの巨人IBMも1981年にPC市場に参入した。通信分野をみると、米国市場では独占的企業のAT&Tが1984年に分割され、日本では1985年に電電公社がNTTへ民営化されると同時に、新しい通信事業者の設立と市場参入が始まった。コンピュータと通信の融合などを囃(はや)して、いわゆる「ニューメディア・ブーム」がわき起こったのもこのころである(図1)。
ところが、1980年代の後半からは、いくつかの研究によって楽観的な情報化社会像に対する否定的な見方が出始めていた。多くの企業がこぞって情報化投資を行い、その維持・運用や新機種への更新投資などで、経済全体としては相当の資金を費やしたにもかかわらず、目に見える効果がなかなか現れなかったからである。
とりわけ、米国の産業界には情報化に対する懐疑の念が強まった。Gleckman, et al(1993)によると、米国の産業界は1980年代に多額の情報化投資を行ったものの、生産性の向上にはみるべきものがなく、当時破竹の勢いにあった日本と比べて、かなり見劣りするマクロ経済のパフォーマンスに失望感が漂っていたとされる(注1)。
裏付けられたパラドックス
こうした現実は、研究者たちの関心もひきつけた。Baily and Gordon(1988)は、1973年以降にみられた生産性上昇率低下の謎に迫るべく、統計上の計測問題などをいくつかの業種にわけて分析しているが、その中でも、特に「コンピュータ投資の効果が公式の生産性統計に現れないのは何故かという問題を重要な鍵(注2)」と位置づけて、詳細な検討を行った。
彼らは、コンピュータの利用が盛んな銀行、証券、保険などの業種では、そもそも生産性が一定になるような定義で産出量の計算がなされていたり、質の向上がうまく反映できなかったりする統計作成上の課題があると指摘した上で、独自に統計データを構築し、公式統計の不正確さがどの程度であるかを試算した。
その結果、確かに個別の業種をみると計測上の問題が確認されるものの、それらは1973年以前にもあったもので、生産性上昇率の“下方屈折”という時系列上の変化を充分説明できないこと、および、業種別のデータを全産業に集計すると、ある業種における産出の上方修正は別の業種の中間投入の増加となって付加価値を減少させるため、投入産出関係を通じた相殺部分が多いこと、などの理由により、前回みたような1973年を境にした労働生産性上昇率の低下を充分には説明できないとの結論に至った。
つまり、確かに公式統計には計測上の問題があるものの、それを織り込んだとしても生産性上昇率の下方屈折は否定できない事実であることが再確認されたのである。
Baily and Gordon(1988)では、「ソロー・パラドックス」についての明示的な言及はなされていないが(注3)、彼らの研究が生産性上昇率低下の原因を解明しようとした点では、「生産性上昇率が低下したのは何故か」というソローの問題意識に適うものであった。同時に、その原因を特にコンピュータ利用度の高い業種に焦点を当てて統計上の計測問題から分析したものの、結果的にそれが棄却されたという点で「情報化が進んでも生産性向上が確認されない」という「ソロー・パラドックス」を支持する結果にもなったのである。
>> ITに否定的な結果のオンパレード
注1 Gleckman, et al(1993), p38.
注2 Baily and Gordon(1988), p.351.
注3 この論文に対するDavid Romerのコメントの中では “computer puzzle” (p.427)と表現されている。
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