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- 2019/12/12 掲載
「数十万円の工芸品をポンと購入」、インバウンド旅行者が金沢でお金を使うワケ 篠崎教授のインフォメーション・エコノミー(117)
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金沢のインバウンド旅行者は定住人口の1割増に匹敵
人口46万人の金沢市は、今、交流人口の拡大で活気づいている。2018年の延べ外国人宿泊者数は52万人で、「インバウンド客11人で定住人口1人分の経済効果に匹敵」するとの試算に依拠すれば(注1) 、人口が約1割(4万7000人)増加したのと同じ効果だ。前回みたように、その立役者はコアな日本ファンのリピーター客だ。国・地域別の宿泊者数をみると、最も多いのは台湾からの旅行者で、その背景には、台湾と金沢の間に「人が織りなすグローバルな歴史の物語」があった(図1)。
もうひとつ、金沢のインバウンド旅行者で際立つのが、イタリアなど欧米豪からの旅行者の多さだ。金沢市観光協会によると(注2) 、2018年に欧米豪から金沢を訪れた旅行者の割合は35.7%で、全国平均の16.4%を大きく上回る。
特にイタリアの割合は4.2%(全国平均は0.9%)と、フランスの3.8%(同1.4%)やイギリスの3.3%(同1.5%)を上回り、欧州各国の中ではトップを占める。今回は、この切り口から、豊かな文化と伝統を背景に「人が織り成すグローバルな歴史の物語」と、それを巧みに活かした観光戦略について、現地調査で何が見えてきたかを解説しよう。
なぜイタリアからの訪問者が多いのか
イタリアからの旅行者が多い金沢だが、意外なことにイタリアとの間で姉妹都市などのフォーマルな関係はない。だが、そこには興味深い「人のつながり」があるようだ。デザイン、工芸、繊維などの面で地域特性が似ており、これに関連した「人の往来」が多いのだ。さらに遡(さかのぼ)ると、工業デザイナーとして世界的に有名な柳宗理氏(1915-2011年)も忘れてはならない。金沢市は、日本中が「戦後の混乱と虚脱のなか」にあった1946年に金沢美術工芸大学を創立し、柳宗理氏は1956年に嘱託教授に就任した。
同大学の柳宗理デザイン研究所で学芸員を務める鈴木彩可氏によると(注3) 、1957年にミラノトリエンナーレにて、柳宗理氏は金賞を受賞し、地元老舗百貨店のリナセンテ行われた展覧会では発案に関係したこともあり、大歓迎されたとの記録が残されている。
金沢が擁するデザインや工芸という文化的な「コンテンツ」に人が織りなす歴史の物語(=情報)が加わり、「行ってみよう」「会ってみよう」「見てみよう」という情報を起点にしたリアルな動きが惹起(じゃっき)されているのだ。
地域特性を熟知した巧みなインバウンド観光戦略
歴史的な背景から個人レベルの“つながり”が都市間の交流につながり、ひいてはそれが地域経済の活性化につながっている現象は、連載の第70回、73回、76回で解説したネットワーク理論の「リワイヤリング」「スモールワールド」「マルチレベルネットワーク」そのものだ。これらの背景を知れば、交流人口増加による金沢の活況が、決して一朝一夕に形成されたわけでないと理解できるだろう。大切なのは、時間をかけて蓄積されてきたこうした地域特性=コンテンツを現在のインバウンド観光戦略にどう活かすかだ。
その点で、北陸新幹線の開業というタイミングを逃すことなく地元が取り組んだ戦略は巧みだった。金沢の名所兼六園では、パンフレットの言語選択のため、古くから入場時に外国人の出身地を尋ねていた。このデータの蓄積をマーケティングに活かしたのだ。
ビジネスチャンスを嗅ぎ取っていた大手旅行業者を巻き込み、地元の官民が一体となって、かなり踏み込んだ取り組みを実践したという。日本館が大好評だった2015年のミラノ万博は、その起爆剤となったようだ。
欧米豪からの来訪者が多いというデータを踏まえて、今ではイタリアのハネムーン層をターゲットとする誘客にも注力している。ネットでの情報発信だけでなく、旅行会社の現地支店に色鮮やかな手芸の手毬を展示するなど、対面によるリアルな情報発信も積極的だ。
【次ページ】オーバー・ツーリズムを緩和するターゲット戦略
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