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一般企業のIT投資が本格化してから約四半世紀が経過した。あらゆる職場でITの導入と利活用、それらに伴う経営改革は当たり前のワンセットだ。昨今は働き方改革のドライバーとしても注目されている。だが、日本企業の職場におけるIT投資の効果を分析すると、収益や雇用に影響する経路は、大企業と中小企業で異なるようだ。今回はこの点を解説しよう。
情報化は「新技術の進歩と普及」の歴史
情報化の進展を社会的インパクトの面で跡付けると、情報や通信に関わる「新技術の進歩と普及」により、日々の活動に定着していく歴史だったといえる。
技術面だけで捉えると、その進歩は1940年前後に電子式コンピュータの開発が始まって以来、今日まで連綿と
続いている。だが、社会面で捉えると、1980年代までは、研究機関、官庁、大企業など巨大組織の専門家による利用に限られ、その普及は狭い範囲に留まっていた。
この状況に大きな変化が起きたのは1990年代だ。優れたソフトウェア開発の累積とその快適な動作を可能にするハードウェアの性能向上が相乗効果を発揮して、特別なプログラム言語を知らなくても、視覚的、直感的な理解で素人が利用できる環境が生まれた。
この変化がもたらす社会的インパクトは、水(=H
2O)の温度変化をアナロジーに考えるとわかりやすい。
水の温度変化は、同じ1℃の上昇でも、40℃から41℃への変化と99℃から100℃への変化で、質的に全く異なる。後者の場合、すべてのH
2Oが液体から気体へと「相転移(=phase transformation)」するからだ。
情報化の社会的インパクトも同様で、ITの進歩と普及がある閾値(いきち)を越えると、単なる量的な変化の次元を越えて、社会に質的な転換をもたらすと考えられる。
2度にわたる情報化の「相転移」
1990年代の情報化で大きな節目となったのが、パソコンに象徴される情報処理技術の「進歩と普及」に加えて、開放型の通信基盤であるインターネットが、学術目的以外にも広く商業利用されるようになったことだ。
分散型の情報処理技術と開放型の通信技術が融合したことにより、ITは大組織の専門家という限られた集団の利用から、あらゆる組織と個人が利用できる一般社会の共通資源へと「相転移」した。
この相転移で先陣を切ったのが1990年代の米国経済だ。
経営史の重鎮Chandler (2000) は、当時の米国を「工業時代」から「情報時代」への転換期と位置付け、これを「情報革命」と表現した。
そこから世界の景色は一変した。先進国が舞台となった1990年代には、大企業から中堅、中小企業、さらには零細な個人企業まで新技術が普及し、企業の経営において、
ITは意思決定の重要なファクターとなった。2000年代には、その波が新興国や途上国まで怒涛(どとう)のように
及び、2度目の相転移が起きた。
IT投資が成功する要因は何か
もちろん、ITは単に導入さえすれば、直ちに効果が表れる万能薬ではない。この連載でも詳しく解説したように、1990年代から2000年代にかけて、米国ではITを導入しても経済成長が加速しない「
生産性パラドックス」と、それが解消して新たな成長過程に入ったとする「
ニュー・エコノミー論」との間で激しい論争が繰り広げられた。
今では、多くの実証研究によって、米国経済の生産性上昇率がIT投資で再加速し、10年以上にわたり高い成長を持続し得たことが検証済みだ。同時に、こうしたプラスの効果を実現するには、欠かせない条件があることも明らかになった。
それは、組織の見直しや人材開発など目に見えない無形資産への投資、すなわち、工業社会で形成されてきたさまざまな仕組みを改革しなければならないという
経営改革と
制度改革の条件だ。
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