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イノベーションは技術進歩と同義ではない。技術を発明し開発する側の革新だけでなく、その広範な普及に伴う利用側の発展によって初めて実現する。技術進歩の「社会化」がカギなのだ。情報通信技術の進歩と普及によるグローバル社会の変貌は、今まさに起きているイノベーションだ。ではその源流はどこか。経営史の大家チャンドラーも、人類史の文脈で情報化とグローバル化に切り込むボールドウィンも1990年代に焦点を当てた。
源流としての1990年代
バズワードに振り回されず、現象の本質をつかむ思考法の第一歩は「今起きていることの源流」に遡(さかのぼ)ることだ。この点は
前回述べた。とはいえ、物事は遡り始めるとキリがない。初めの一歩はどこまでたどればよいのだろう。
インフォメーション・エコノミーの場合、ひとつのターゲットは1990年代だ。情報化という概念には、かなり幅広い経済社会現象が含まれているが、一般的にはパソコンとインターネットに象徴される情報技術と通信技術の「進歩と普及」がもたらす、経済社会の変貌を指すことが多い。
もちろん、コンピュータの歴史は遥かに古い。機械式計算機の発明は、優れた哲学者で数学者でもあったパスカルの時代(17世紀)にまで遡れる。しかしながら、当時はこの発明で経済社会のありようが大きく変化することはなかった。
イノベーション=技術革新ではない
一般に、イノベーションは「技術革新」と訳されるが、これは誤解を生みやすい。単に技術的、工学的な進歩の面だけで捉えると本質を見誤るからだ。新技術は、発明や開発を行う側の進歩だけでなく、その広範な普及による利用側の変化と発展にこそ意味があるのだ。
そもそも、
シュムペーターが「新結合の遂行」と表現したイノベーションは、(1)新しい財貨の生産、(2)新しい生産方法の導入、(3)新しい販路の開拓、(4)新しい供給源の獲得、(5)新組織の実現など広い概念だ。かつては「新機軸」と訳されていた(中国語では「創新」)。
そう考えると、今起きているイノベーションの源流として、1990年代がひとつの焦点となるのも頷ける。なぜなら、技術進歩の「社会化」で米国経済が大きく変貌した時期に当たるからだ。
1990年代は国際社会の転換期
思えば、1990年代は国際社会の大きな転換期だった。第1に、
冷戦が終結し、市場経済が西側先進国だけでなく、旧社会主義圏や途上国にも広がったこと、第2に、情報技術が進歩したことに加えて、社会に広く深く普及したこと、第3に、これらに軌を重ねて太平洋の両岸で興味深い二つのコントラストがみられたことだ。
コントラストのひとつは、米国経済の活況と日本経済の停滞という「明暗」、ふたつ目は、この明暗がそれ以前とはみごとに「逆転」したことだ。1990年代は、単に日米両国の経済が対照的な様相を見せただけでなく、「近年で初めて日米経済の実態ないし一般的評価が逆転した10年間」(吉川・松本[2001])だったのだ。
冷戦終結と情報化と日米経済の明暗/逆転
かつて未来論や文明論の色彩を帯びて議論されていた「
情報化社会」が、現実の問題として生産性や経済成長などマクロ経済分析の表舞台に登場し始めたのは、1980年代後半のことだった。
当時、米国では
ソロー・パラドックスに象徴されるように、情報化に否定的な見方が広がっていた。多くの企業がこぞって情報化投資を行い、その維持管理も含めて相当の資源を振り向けていたにも関わらず、効果が表れずに経済が停滞感を強めたからだ。
一方、日本では欧米先進国に比べて良好な経済が続く中で、マイクロ・エレクトロニクス化が注目された。日本が得意とする半導体などの電子産業を中核に、情報化が機械産業と結びついて世界の経済をリードしていくとの期待が高まっていた。
ところが、皮肉なことに1990年代に情報技術革新がいよいよ本格化すると、日米経済のパフォーマンスが1980年代とは正反対に入れ替わった。
ニュー・エコノミーの到来で米国が10年に及ぶ景気拡大を謳歌したのと対照的に、日本経済は長期の停滞に陥った。
つまり、日米経済の「明暗」と「逆転」は、冷戦構造が終結し、情報化社会が本格化する中で起きたのだ。これらの現象は、たまたま重なっただけなのか、それとも何らかの強い関係性があるのか、帰納的思考法で遡る興味深い源流といえよう。
【次ページ】優れた研究者たちも1990年代に注目
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