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ミレニアル世代には、日本が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称され、世界で脚光を浴びた時期があるとは実感できないだろう。国際社会における日本経済のプレゼンスが低下し始めたのは、インフォメーション・エコノミーの源流となった1990年代だ。今回は、財政赤字と民間活力にみられた日米経済の「明暗と逆転」を跡付けながら、国際評価がどう変化していったかを解説しよう。
「小さな政府」を掲げた米国で財政赤字が拡大
日米経済の「明暗と逆転」について、
前回は企業の投資行動から「今起きていることの源流」(=1990年代)をふり返った。今回は、それが国際評価の「明暗と逆転」につながっていった経過を財政赤字と民間活力のコントラストでみていこう。
1980年代から1990年代にかけて、企業の投資行動と正反対の軌跡を描いたのが政府支出だ。1980年代の日本では、民間企業の投資が増勢を続ける中で、行財政改革が精力的に進められ、電電公社(現NTT)や国鉄(現JR)の民営化も成し遂げられた。その結果、政府支出の年平均伸び率は1.3%へと大幅に鈍化した(表1)。
他方、レーガン政権下の米国は、小さな政府を掲げる一方で、悪の帝国と位置づけた旧ソ連に対峙すべく、強い米国を標榜して国防支出を増大させた。その結果、1980年代の政府支出は1970年代に比べてむしろ増加し、財政赤字が拡大するという皮肉な結末を迎えてしまった。
双子の赤字とクラウディング・アウト
前回みたように、当時の米国は、民間企業の投資が停滞して国際競争力が低下したため、輸入超過(貿易赤字)による経常収支の赤字が常態化していた。そこに大幅な財政赤字が加わり、「双子の赤字」と呼ばれる構造問題を抱え込んだ。
巨額な「双子の赤字」によって米国経済は海外からの資金に依存する体質になったのだ。海外マネーの流入を維持・拡大するには、ドルへの不安を払拭し、魅力を高めなければならない。そこで一役買ったのが高金利とドル高の組み合わせだ。
財政赤字を賄うべく大量に発行された米国債は、債券市場で高金利をもたらした。高金利は企業の借り入れ負担を大きくしたばかりか、高金利に惹かれた資金流入の経路でドル高ももたらした。周知のとおり、ドル高は、価格競争力の面で輸出には不利に働く。
輸出が伸び悩めば、当然ながら貿易赤字は解消できない。さらに、輸出の低迷で生産が停滞すれば、企業の投資意欲は抑制されてしまう。この悪循環こそが「大きな政府」の財政支出が民間企業を押し出してしまう「クラウディング・アウト」現象だ(おしくらまんじゅうに巨漢が加わって多くの参加者が押し出されるイメージ)。
1990年代は政府支出の明暗が逆転
このように、1980年代は、米国の政府支出が増大し民間の企業投資が停滞した。一方、日本は政府部門の支出が抑えられ、民間の企業投資が活発化した。つまり、両国の民間活力には鮮やかな明暗がみられたのだ。
この明暗は1990年代に逆転した。
前回と
前々回に解説した通り、
3つの主体(「家計」「企業」「政府」)のうち、家計と企業の2つの需要が低迷した日本は、民間部門の経済活動が著しく停滞した。これを補うために政府がとった経済政策が財政支出の拡大だ(表2)。
1992年8月から1999年11月までの7年間に、日本では経済対策関連の補正予算は9回も組まれている。3つの主体のひとつである政府が何らかの不況対策を毎年のように実施したわけだ。このため、1980年代には1.4%に鈍化した政府支出の伸び率は、3.1%にまで高まった。
他方、1980年代に政府支出の伸びが年平均3.0%だった米国は、冷戦終結に伴う国防支出の減少やクリントン政権の財政赤字削減努力により、1990年代は年平均1.4%にまで低下した。政府支出にみられた日米経済の鮮やかなコントラストだ。
【次ページ】経済面の国際的プレゼンスはどう逆転したか
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