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「ソロー・パラドックスは解消しつつある」という見方が次第に広がる中で、1990年代の後半に湧き起こったのが「ニュー・エコノミー論争」だ。この論争は、アジア通貨危機(1997年)で世界経済が混乱の渦中にあっても、なお順調に拡大を続ける米国経済の「高い成長率」と「景気の持続力」を巡って繰り広げられた。IT投資による経済再生で、景気循環が消滅し、永遠の繁栄がもたらされるという極論まで生むことになるこの論争の出発点をみておこう。
IT投資による成長は幻想?
前回までみてきたように、かつては全面否定されていたIT投資の効果が、1990年代の半ばには、実証研究の一部で確認され始め、また、歴史的なアナロジーからも、プラス効果の発現は「時間の問題」という雰囲気が醸成されてきた。だが、生産性上昇率の高まりは、景気循環の要因による一時的現象過ぎないというGordon(1993)の実証分析結果も出されていたため、IT投資が生産性の上昇にプラスの効果もたらすという主張は、必ずしも全面的に受け入れられたわけではなかった。
米国経済の生産性上昇率が再び向上したと判断するには、経済成長率の高さが「持続的な趨勢変化なのか、いつもどおりの循環要因なのか(
注1)」を見極める必要があったのだ。実際、クリントン政権の経済諮問委員会は、1997年版の年次報告書で、2003年までの持続可能な成長率見通しを2.3%と推計したが、その根拠となった労働生産性の上昇率は、1973年から1990年までの平均値である1.1%とほぼ同水準の1.2%であった(
注2)。つまり、当時の判断としては、「趨勢変化なし」とされていた。
投資主導による成長は、見方を変えると、資源動員型の投入増加で産出が増えているに過ぎないと考えることも可能だ。単なる投入増加がもたらす成長は、「収穫逓減の法則」や完全雇用による「投入の限界」によって、いずれ立ち行かなくなる。たとえば、「アジアの奇跡は幻想である」と論じたKrugman(1994)は、その理由として、アジアの経済発展が専ら労働や資本など経済資源の投入増加によってもたらされたものであり、技術やノウハウなどの伝播による生産可能曲線の持続的、自律的な拡大が起きないからだと指摘した。
これと同じ議論は、IT投資の増勢による米国経済の成長にも当てはめることができる。もしも、成長率の高まりが単にIT資本の投入だけでもたらされているならば、趨勢的な成長率の加速にはつながらず、いずれは息切れして成長率が低下してしまうことになるからだ。そうだとすれば、IT投資による成長は、一時的な「幻想」に過ぎないことになる。
【次ページ】ニュー・エコノミーとは
注1 Gordon(1993)参照。
注2 Economic Report of the President(1997)参照。
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