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- 2014/12/08 掲載
「社会の総プロジェクト化」が進む現代においてルーチンワークは消滅したのか(前編)
連載:名著×少年漫画から学ぶ組織論(20)
いつの間にか消えた「ルーチンワーク」という言葉
ルーチンワークという言葉が意味する仕事とは、一体どのようなものだったか。アニメ「サザエさん」に登場する「マスオさん」を例にとってみたい。
マスオさんが勤める会社の名は海山商事。電車で通勤したそのオフィスには、デスクがあって、電話があって、書類がある。書類にハンコを押したり、タバコを一服したり、電卓を叩く姿が描かれる。社名が「商事」であるところからして、マスオさんの勤め先は商社であると思われる。しかしそうした彼等の日常の姿こそ垣間見えるものの、実際の所、そこで一体どのような仕事をしているのか、映像からは判然としない。
都会のオフィスで書類をやりとりすることで、この世界のどこかで物が動き、経済が循環する。書類にハンコを押して、数字を計算して、タバコを一服することで紡がれる、永遠に変わらない日々。
こうしたアニメとは対照的に、今日の現実世界の状況は非常にせわしないことは言うまでもない。
情報技術が加速度的に進化することで、コンピュータソフトが担う業務領域は広がり続けている。イノベーションが生まれる一方で、既存ビジネスが考えられないようなスピードで廃れていく。ヒット商品を生み出したとしてもすぐ競合に真似をされたり消費者の気が変わって見向きもされなくなったり、商品の寿命はますます短い。
社会そのものが「プロジェクト化」するとは?
「ルーチンワーク」と対比される言葉は、新たなものを作り上げる前例のない仕事を指す「プロジェクト」だ。現代社会においては、社会そのものがプロジェクト化しつつあるという感じがする。ありとあらゆる企業が、いつどのように変化するとも知れない環境にあって、気長にルーチンワークに勤しむなんていうことは、まさしく安定の象徴、逆に、ちょっとした楽園のようにも思える。
いくら懐かしんだとしても、あらゆることが予測不可能な「プロジェクト化する社会」の進行は止まるように思えない。この困難な状況のなか、いかに人は先の展望を描くことができるか。
今回のテーマは、イギリスの政治学者で外交官のE.H.カーの著書「歴史とは何か」に知恵を訪ねようというものだ。
ルーチンワークの対極にある「プロジェクト」。現代とは「プロジェクト化する社会」である。そこにルーチンワークがあるということは、その目の前に、資本を投下したら確実に収益が得られる構造がある、ということである。
インターネットの登場以来、ベンチャー企業だ、スタートアップだと、新ビジネスの創出が様々な領域で起きている。新規事業が生まれ出る過程とは未知との戦いである。何をやったら成功につながるのか、皆目見当もつかないなかで手探り状態であり、まさしくこれを「プロジェクト」と言う。
プロジェクト化する社会とは、どこに投資をすれば利益が得られるか、その確実性が低い社会だ。裏を返すと、収益を得る可能性が高い案件が明確に存在するということは、極めて価値の高い状況だとも言える。
【次ページ】新規事業企画でありがちな「スケールするか?」という問い
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