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- 2015/07/24 掲載
ワンピースとハンターハンターを組織論の観点で比較する(後編)
連載:名著×少年漫画から学ぶ組織論(33)
上意下達型組織特有の甘えを許さない墨家的組織
儒学というと大昔の思想のように思えるが、当時に形成された考え方は、現代に至るまで、人々の考え方の基礎となっている。前回は、ONE PIECE(ワンピース)という作品で、乱世に秩序がもたらされていく過程が儒家的、徳治主義的な世界観によって描かれていることを確認した。
一方で、今回のメインテーマであるHUNTER×HUNTER(ハンターハンター)というこの作品、こちらにおいては世界の秩序を維持しようという切り口で何かが描かれるということが、そもそもないのであった。「懸賞金ハンター」「ブラックリストハンター」から、はたまた「幻獣ハンター」「グルメハンター」などと自らを定義付けした職務領域において、めいめいが好き勝手に自己実現をしていくという、実に散文的なエピソードが展開されていくだけである。
物語の骨格もなければ、キャラクター同士の共通の目的もない。全くもって、全体の筋というものがない。単純に考えると、取り留めのない作品に仕上がりそうな設定である。しかし、実際のところは、緊張感に満ちた物語が展開されている。
その緊張感を生み出しているものは一体何なのかというと、それは、「個が個として自立していながら、他者と共に高いパフォーマンスを発揮しようとしたときに、プロフェッショナルとしてのあり方が問われる」という、ワンピースとはまた切り口の違った組織が描かれているということである。
儒家的組織人の在り方とは、意思決定を上位の人間に委ねるというところにその本質がある。それは組織の秩序維持における必然の理であるが、「上位の人間の意思決定に対して、下位の者が異議申立てをしてはならない」ということが大きなデメリットになることがある。
現場から上層部に対して適切なフィードバックがない組織は、しばしば意思決定の仕方を誤り、時に破滅的な選択をしてしまう。これは歴史が何度も証明していることである。「打てば鳴る」臣下は確かに理想かもしれないが、これは「打たれるまで鳴らない」組織文化の温床となる。打たれないからといって鳴らずじまいで、気付けば組織も個人も立ち往生していた、などということになってしまっては元も子もない。
第30回でも見た通り、墨家が儒家に対して最大の異議申立てをしたのがこの点である。だからこそ墨家は「打たれなくても鳴る」臣下こそが理想の忠臣として、命がけの諫諍を行うことをよしとした。組織の行く末を上位者に丸投げするのではなく、個の責任において対峙する。上意下達型組織特有の甘えを許さない思想なのである。
【次ページ】プロフェッショナル同士だから発生する個と個のせめぎあい
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