- 2021/02/27 掲載
「Netflix」は映画ビジネスを殺すのか? コロナ禍で壊れた“共存共栄”(3/3)
稲田豊史の「コンテンツビジネス疑問氷解」
Netflixは映画業界が育てた人材を「刈り取って」いる?
「Netflixは100の知名度を1000にするかもしれないが、0を100にはできない」ということか。「そうですね。そういう意味では、Netflixをはじめとした配信各社は、自分たちが未来的にピックアップすべき映画人を育てる役割の映画興行が、今後も産業として存続していないと困るはずなんですよ。農業にたとえるなら、土を耕して種まきして、出た芽を育てるのが興行。できた作物を刈り取って、全国に流通させるのが配信。もしこのまま、配信が興行のビジネスを奪い続けていったら、刈り取るべき作物が確実に不足します。……ってことを、配信の人はどこまで見据えているのかな? という疑問はあります」(プロデューサー・C氏)
Netflixが映像業界従事者を大切にしていないわけではない。2020年3月には新型コロナで職を失くしたスタッフ支援のため、1億ドルもの基金を設立したと発表。日本では、そこから1億円を「Netflix 映画・テレビドラマ制作従事者支援基金」としてVIPO(映像産業振興機構)に拠出し、要件に見合うフリーランスのスタッフに10万円を給付した。また、今年2月には、日本のウィットスタジオが4月に開講するアニメーター育成塾のカリキュラムを監修し、受講生の生活費と授業料を負担する。
「とはいえ彼らは、現時点では映像製作機能を兼ねたコンテンツ配信業者であって、映画業界人ではありません。『無名の人をピックアップ』みたいな役割は、映画業界か、YouTubeをはじめとしたインディーズの投稿動画で勝手にやってくれ、ということかもしれませんね」(配給会社・B氏)
「映画業界を長期的に維持する気がない人たち」
C氏は、「配信ビジネスって一方通行で終わりがちなんですよ」と口にした。「我々製作会社としては、NetflixなりAmazonなりに配信権を売ったら、それで終わり。商売として単独なので、なんというか、“ご一緒することができない”という説明がいいのかな。映画業界は、製作委員会システムに象徴されているように分業制で、製作会社・配給会社・劇場・出資各社・メディア各社が一致団結して、盛り上げて、ヒットを狙っていく。そこにはイベントや同人文化なんかも付随している。だけど、配信屋さんはその船に乗れないし、乗る仕組みになっていない。今のところ、一蓮托生にはなりにくいんですよ」(プロデューサー・C氏)
「配信を悪者にしたいわけではないが、映画業界と配信業界は相容れない」。そんな言葉がC氏の喉元まで出かかっているようだったが、気持ちはわかる。日本の映画業界にいる人たちは、この先も映画業界で食っていこうとしているが、Netflixは“コンテンツ”で食べている。
今はたまたま、一部の日本のアニメや『全裸監督』の調子が良かったから、そこに投資してはいるが、先々はわからない。C氏の「一蓮托生にはなりにくい」の意味するところは重い。
「配信オンリーの作品や劇場と同時公開の配信作品が、国内外の映画賞から排除されていることが、よく『映画業界は頭が古い』として批判されますけど、あれもよくわかるんですよ。だって、映画業界を長期的に維持する気があるのかどうかわからない人たちの作品を映画賞にピックアップして、一体なんの意味があるの? という話で。もちろん、今は過渡期であって、いずれ配信も含め循環していくシステムを作っていくのも、私たちの仕事ではあるのですが」(プロデューサー・C氏)
たしかに、そうだ。批評家や観客選出の賞は別としても、アカデミー賞をはじめとする国際的な映画賞は基本的に、映画人の(映画業界に対する)功績を、同業者(これまた映画人)が称える賞である。興行ビジネスを「飛ばして」いる配信作品を排除しようとするのは、心情的に理解できなくもない。実際、先述の『劇場』は、国内の映画賞の対象から外れている。「公開と同時配信」だったからだ。
とは言え現実問題として、ハリウッド古株映画人の代表格であるワーナーやディズニーは、「配信」に少なくない重心を乗せはじめた。コロナ禍という緊急時、かつ自社傘下の配信サービスへの囲い込み戦略の一環とはいえ、それでも、相当な事件である。
コロナ禍は映画業界と配信業界を融合させるのか、あるいは溝を深めるのか、2021年は注視の年になりそうだ。
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