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- 2013/07/23 掲載
【IT×ブランド戦略(13)】人間ドラマこそが、人間にとっての最大のコンテンツ
「どうして売れるルイ・ヴィトン」の著者が解説
収益事業としての将棋
ひとつめは、将棋を「興行」としてとらえ、有名選手同士のゲームを開催し、そこに人々の注目を集めるという方法だ。サッカーや野球では、この「観戦」そのものに課金し、入場料をとることが一般的だが、もちろんもっと効率のよい収入源があり、マスメディアによる中継に多くの人の注目が集まることそのものによって、広告枠としての価値が生まれ、そこに巨額の広告収入を得るという手法がある。これは、新聞社が主体となってタイトル戦を開催するという、昔ながらのモデルだ。
次に、将棋に関する「出版」である。代表的なものとしては、将棋というゲームの指し方に関する解説書がある。他に主だったものといえば、有名タイトル戦の動向を報じる雑誌的なものや、棋士達の人生を紹介したり、その内面に迫る紹介書、というところだろうか。また、よりレベルの高い読者層に対して、研究書に近いようなジャンルもある。
また近年急増しているのが、将棋をテーマにした漫画だ。必ずしもゲームとしての将棋に精通していなくとも楽しめる、人間ドラマに主眼をおいた作品作りがなされている。なかには、プロ棋士による監修や将棋連盟の全面的な取材協力がうかがわれるものも、少なくなく、将棋界のプロモーションのなかで、大きなテーマとなっていると思われる。
「興行」「出版」とくれば、もはや将棋連盟とは、タレント事務所としての機能を持つと考えてもおかしくはなく、そうとなればグッズなどの物品販売、すなわち「ライセンスビジネス」も見落とすわけにはいかない。現在の将棋界では必ずしも活発に行われているようには見受けられないが、もしかしたら、そうそう捨てたものではないかもしれない。
4つ目は、「教育」だ。もっともイメージしやすいものは、棋士による将棋教室、道場があるが、NHK将棋講座のように放送のなかで行われているものもある。ゲーム業界として見るとちょっと変わっている点は、家庭で親が子供に教えたり、子供の頃に友人同士で教えたりということだ。
ゆえに本格的な教室があったとしても、英会話のような、実際的な目的をもったものではないため、教育産業という観点で見ると、市場規模としてはごくごく小さいであろうことは想像に難くない。
最後に、「ゲーム」だ。コンピュータゲームの世界では、例えばドラゴンクエストやファイナルファンタジーを遊ぼうと思ったら、ソフトを買って開発者、生産者にお金を支払うのは当たり前という感覚があり、当然大きな市場がある。
一方、将棋といえば、盤と駒さえあれば遊べるため、ゲームをプレイすることそのものでお金をとる、という発想は、従来の将棋界ではありえなかった。あるとすれば、プレイステーションなどでゲーム化されている将棋コンテンツだが、相当ハイレベルなユーザーをターゲットとしたものであり、一般の人にはちょっと関係がない。
近年は、携帯やスマートフォンを通じてより細かい課金ポイントを設けて、大儲けする事例が続出している。これだけスマホゲームが隆盛しているいま、ライトな人々を対象にして広く薄く課金するモデルは検討されてしかるべきだろう。
これらの事業は、提供者側から見るとそれぞれが独立して行われているが、ブランドの成長という視点で考えると、相互に与える影響を見逃すわけにはいかない。なぜならば受け手側から見ると、その時の興味や必要に応じて個別の商品を取捨選択していくものだからだ。
将棋というブランドコミュニティに特化して考えると、その参加者は、徐々に階段を上がっていくように成長していくことが理想的なように思われる。なぜなら、将棋とは、いきなり素人がトップ棋士のゲームを観戦しても、まったくその意味を理解することはできないものだからだ。
もちろん野球やサッカーなどのゲームでもその最先端のゲームは非常に複雑なもので、その意味を理解するには高度のリテラシーが求められる。とはいえ、代表戦なんかで国中が盛り上がれるのは、「ボールがゴールの枠に入ったら、得点」「格好いいプレーでパスを通すと見ていて気持ちがいい」といった形で素人が観戦に参加できるからだ。
一方、将棋は解説者が「むっ、これは味のいい手ですね」なんて言ったところでさっぱりよくわからない。というか、そもそもなかなか次の一手を指さないので退屈だ。極めつけは、ゲームの「終わり方」だ。
将棋とは、盤上で相手の王様を追い詰めていくゲームだが、明確に王手をかけて「詰み」の状態に至っていないのに、突如お互いに一礼して試合終了するのであった。
これではちょっと、一見さんは楽しめない。
再三語ってきた通り、将棋連盟を中心とする将棋ブランドの価値の源泉はプロ棋士の神秘性だ。しかし、その神秘性に辿り着く前に、かなりの修行が必要とされるものであり、ちょっとやそっとの興味だけでは、そこに至る前に挫折、というオチが待っているだけなのだった。
そこで必要になるのが、将棋マンガを読んで興味を持ち、まずは駒の動かし方を知り、ゲームを指せるようになり、定跡手順や詰将棋の本を買って読んでみて、その解き方を知り、トッププレイヤーの棋風を理解し、中継番組が面白くなり、徐々に自信も出てきてネットで他のユーザーと対戦する・・・といった「ステップアップ」なのである。
このように、将棋とは、遊んで楽しむにしても、鑑賞するにしても、一歩ずつ上のレベルの内容を理解していかなければ、その世界の奥にある魅力や面白さがわからないようになっている。
もちろん、この構造がゆえに、観戦者としてのレベルが上がっていくことの楽しみがありコミュニティの安定的な運営という観点では多くのメリットがあるわけだが、より広い層に働きかけをしていこう、ということを目指すなかでは、ここが最大の弱点となる。
一億総中流社会、誰もが新聞を読んでいた時代ではきっと十分戦えたのかもしれないが、昨今の社会環境において、これまで通りにファンが増えることを「待ち」の構えでいては先細りになるのではないか、そんな危機感のなか、今回の電王戦のような、ちょっと刺激の強いイベントが開催されたのだと思われる。
前回主張をした、新たな形での将棋のゲーム化は、まさしくここに課題意識がある。
確かに今回の取り組みで、普段将棋に興味がないひとも「そういえば将棋ってプロがいるんだっけ」「羽生さんってまだ現役で頑張ってるの?」なんて、いっときの興味を引けたかもしれない。しかし、だからといってこれをきっかけに、ガッツリ将棋にハマるかというと、そうでもない。普通の人は、一週間もすれば次の話題に飛びついていくものだ。
これは誰を責めることもできない話だ。現代社会、とりわけネットの中の話題争奪戦においては、「昨日の話題」はもう古くさいのである。
リアルタイムに人の注目する情報が流れるようになったことが影響していると思われるが、いまどき、時に「一時間前」の情報ですら、鮮度が失われるものだ。
誰もが皆、常に新しい話題を求めていて、その提供者は無数にいる。そのなかでこれだけの注目を集めたのは驚異的なことだが、このままでは一過性の話題として消費されてしまうだけだろう。
電王戦をきっかけに目を惹かれた人の、心をつかむものとは、一体なんなのだろうか?
【次ページ】ビギナーをブランドの中心部に呼び込む秘策
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