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  • 2017/04/14 掲載

清須会議に学ぶ、豊臣秀吉の「会議の技術」はなぜ優れているのか

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組織で生きる人間にとって、なぜ会議が存在するのかといえば、それは「利害の調整」のためである。会議とは、時に、参加者達の命運を決める、重要なターニング・ポイントとなることもある。銃弾が飛び血が流れるわけではないが、その過程に着目すると、もはやそれは「戦争」とも言っても過言ではない。今回は「会議という名の戦争」を勝ち抜くための3つの要諦を挙げ、さらに具体的なケース・スタディとして、映画『清須会議』での豊臣秀吉の「会議力」を紹介したい。
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豊臣秀吉に学ぶ、「会議という名の戦争」を勝ち抜くための3つの要諦
(© collins707 – Fotolia)


会議という名の「戦争」を勝ち抜け

 古来より、戦争とは、国家間の利害が衝突した際の調整手段であった。勝利を治めた側が、意見を通す。クラウゼヴィッツを引用するまでもなく、それは外交の延長上にあるものであり、根本においては、現代日本における企業社会の会議とも相通ずるものだ。

 一方、現代社会の中で我々の直面する「会議という名の戦争」においては、身体的生命を賭けることはない。しかし、社会的生命についてはその限りではない。極めて重大なものを賭けるにも関わらず、十分な戦略性をもって臨まないという人も多く、筆者にはそれが非常にもったいないものであるように思われる。

 ということで今回は、「会議という名の戦争」を勝ち抜く方法」について考えてみたい。

 会議とは徹頭徹尾、言葉を通したロジカルな「論理の戦い」である。

 しかし、ほとんどの人間は、一瞬たりとも気を抜かずにロジカル・シンキングをし続けるなんてことはできない。その意味で会議とは「論理の戦い」ではなく、実態としては「論理、ときどき織り交ぜた屁理屈の戦い」とも言える。

 そうした戦いにおいて言葉を「白兵戦」とたとえるならば、勢いやタイミング、その場の空気など、様々なものを「飛び道具」として活用することになる。

 面と向かっての言葉の応酬が得意だという人は、ごくまれにいるかもしれないが、ほとんどの人はそうではない。だが安心して欲しい、むしろ、舌戦が得意でないという人は幸いである。だからこそ、決戦の前に行う事前準備の大切さが身につくのだ。

 会議という名の戦争において、勝利を得るために必要なものとは、口先の技術ではなく、以下に挙げる3つの要諦を会得することが有効である。

要諦1:会議の前哨戦は、「決め方を決める」戦いである
要諦2:実は最大のキーマンは会議ファシリテーター=事務方である
要諦3:「相手のかざした論理の逆用」こそが最大の武器である

要諦1:会議の前哨戦「決め方を決める」戦いを制す

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 会議とは利害の調整の場であり、「そこで到達する結論を、いかに我が方に有利なものに導くか」ということ以外にその目的はありえない。

 実はそこで最も大切なのは、「どのようなプロセスや参加者で、その問題を討議するか」である。

 コロンブスの卵のような話だが、潜在的に自らと考えを同じくする賛同者を、その意思決定ラインに配置できればもはや舌戦など不要、無血開城というものである。

 また、最終的な意思決定を「多数決に委ねる」のか、「最高責任者の一存に任せる」のか、はたまた「外部諮問機関の意見を取り入れる」のか、ということも重要なポイントとなる。

 誰がどの方法で意思決定を行うのか、という読みの正確さと、それを実現する段取り力。これらを有する人は、百戦戦っても負けることはない。

要諦2:最大のキーマンは「事務方」だ

 もちろん、世の中はそう簡単ではない。相手方だって同じことを考えるのは当然のことである。最初から、自分が有利になるような形勢が簡単に作れるような状況であれば、そもそもそれが会議の俎上に乗ることはない。

 多くの場合は、その時点でいかに工夫を凝らしたとしても、実現できる形勢差はわずかだ。そこから先、その微差をいかに広げていくかということが問題となる。

 多くの人が見落としがちなのは、そこで味方につけるべき人が「事務方」だということだ。

 花形部署のラインにおけるキーマンの取り合いに明け暮れるうちに、事務方の人々をついおざなりに考える人は、会議巧者とは言えない。

 実際の論戦とは、スケジュール調整に始まる様々な段取りによって実施される。それは戦争で言えば兵站、補給線のようなものである。実際のところ、その会議が朝一番に開催されるのか、それとも深夜に開催されるのか。月曜か週末か、それによって参加者のコンディションは全く異なる。

 それと意識させない範囲で、確実に我が方に有利に働く環境を整える、そのためには密かに事務方と呼吸を通じておくことは必須である。

要諦3:「相手の論理の逆用」が最大の武器である

 いざ、論戦の火蓋が切られてしまうと、あとは最終的には、論理(あるいは屁理屈)の勝負である。あくまで泥臭く臨む人もいれば、スマートに戦う人もいる。

 「訥弁の雄弁」なんて言葉もある。そこでは人は、自身にもっとも馴染んだ、戦いやすいファイティング・スタイルがあるはずで、それに殉じることが最善である。

 一点だけ、心に留めて置くべきことは、いかなる交渉においても、自らの一方的な論理で相手に打ち勝つことは少ない、ということだ。

 たとえば、そこで争われているポイントが「コストカットをすべきかどうか」であった場合、「コストカットをすべき理由」だけを述べても会議を制することはできない。

 「何のためにコストカットすべきかどうか」と、一段階メタな視点にのぼり、そこに一致を見た上で「相手の矛盾を指摘する」ということだ。

「会議の戦い方」は、映画「清須会議」に学べ

 少々話が抽象的になってしまったので、これを具体的なケース・スタディとして学ぶことができる映画を紹介したい。

 その映画とは、三谷幸喜監督作品の「清須会議」である。同作は2013年に映画が公開され、29.7億円の興行収入というヒットを記録した。その内容は、1582年に実施された清須会議を題材に、本能寺の変の直後に諸侯が政治のイニシアティブを争う会議の模様を描く、というものだ。

 清須会議は、「会議の戦い方」についてのインスピレーションに満ちた映像作品である。

 清須会議で争われた争点とはずばり、「誰が信長の跡を継ぐのか」である。後継者の選定いかんによっては、かの豊臣秀吉も日陰の身、後々の天下統一など夢のまた夢であったかもしれない。

 「秀吉にとっての天下分け目の戦いとは清須会議だった」というのが、三谷幸喜監督の見立てだったのである。

 この作品では、先に挙げた3つの要諦が見事に描かれるのだが、それが凝縮された次のシーンである。

【次ページ】会議は「より大きなグランドビジョン」を描いた者が勝つ
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