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東京大学入学式の祝辞で注目を集めた社会学者・東京大学名誉教授 上野千鶴子氏。同氏は日本の教育、人材を考えるには「問いを立てること」が重要だと語る。2030年に向け、人材育成はどう変わっていけばよいのか。そして女性はどう動いていけばよいのか。上野氏が女性学のこれまでを振り返りながら、10年後の未来を語った。
聞き手:編集部 佐藤友理、執筆:鈴木恭子、撮影:濱谷幸江
聞き手:編集部 佐藤友理、執筆:鈴木恭子、撮影:濱谷幸江
「問い」を立てられない東大生
──2018年9月に『情報生産者になる』(ちくま新書)を出されました。「情報は消費するよりも生産するほうが面白い」と説かれています。
上野氏:工業社会と情報社会では、生産性の考え方がまったく違います。工業生産性とは時間で換算できるような、愚直な生産性です。一方、情報生産性は、5時間の労働と5分の労働の生み出す価値が同じこともあります。
今の日本の人材育成は、情報付加価値生産性にまったく見合っていません。東京大学の入学式の
祝辞で「メタ知識」について紹介しました。メタ知識とは「知識を生産する知識」を指します。メタ知識を身に付けるためには、「答えのない問いに立ち向かう」必要があります。しかし、今の東大生は、「答えは1つしかない」という選抜試験に勝ち抜いてきた学生です。
「答えのない問いに立ち向かう」ことは「問いを立てる」ことから始まります。しかし、東大生の中には、問いを立てること自体がわかっていない学生が多い。「問いを立てる」には現実に対する違和感やひっかかりをキャッチする感度が必要です。つまり「なぜ」「どうして」といった問題意識を持つことです。
日本の教育ではこうした訓練をしません。「なぜ」「どうして」と問う子どもの疑問を肯定し、「一緒に考えてみよう」という土壌がないのです。それどころか、ノイズの発生を抑制し、同調圧力をかけるような環境で育ってきています。
──情報生産者を育成するには何が必要なのでしょうか。
上野氏:複数の「システム」に足をかけることです。外国人や高齢者、障害者といった、自分とは異なる「システム」と接点を持てばよいのです。
情報価値は、異文化や異業種といったシステムとシステムの落差に発生します。「システム」は情報を縮減して、人の生活を容易にする効果があります。人間は過剰な情報に耐えられない生き物です。ですからルーチンワークを確立し、思考しなくてもやっていけるように、情報を縮減しています。それがシステムの効果であり、人間が生き延びるための知恵でもあります。
もちろん、システムを全否定するわけではありません。しかし、1つのシステムだけに閉じこもっていたら、情報は生産されません。情報とは、ノイズが転換したものです。ノイズが存在しないところに情報は発生しません。情報生産者を育成するには、ノイズを発生させる“装置”を、人為的にたくさん作る必要があります。
「女性学」は学問の世界でもヒエラルキーの下の方
──教育、人材育成はこのままでよいのでしょうか。
上野氏:現状のままの人材育成を続けているのであれば、2030年の日本の人材は危ないです。たとえば、男女雇用機会均等法が成立してから30年以上が経過しました。その間、女性の働き方はどのように変化したか考えてください。女性間で正規社員/非正規社員の分断が発生し、非正規社員は権利を主張することすらできない立場に追い込まれました。これは、人災です。
──女性学の立ち位置はどう変わってきたのでしょうか?
上野氏:私たちの(1970年代のウーマンリブやフェミニズムを担った)世代は「女性学」「ジェンダー研究」を看板に掲げました。というのは、それまで「女性学」「ジェンダー研究」という学問自体がなかったからです。
私は開業医の父親と専業主婦の母親という家庭で育ちました。家庭は「女の一生は男に従うもの」という環境で、母親はロールモデルになりませんでした。「こんな割の悪いこと、やってられない」というのが両親を見ての感想です。その後、大学に入学して大学闘争がありましたが、ここでも露骨な性差別がありました。「同志」という名の男性による性差別です。
私たちの下の世代には遠藤薫さんや本田由紀さんといった、素晴らしい女性の研究者がいます。しかし、私たちの世代と彼女たちの世代には違いがあります。私たちの世代が「ジェンダー」を看板に掲げていたのに対し、次の世代の女性研究者にとってジェンダーは、「分析変数」として当たり前になりましたから、あえてジェンダーの看板を掲げず、それぞれの専門の中にジェンダーの観点を取り入れている。ですから、あえて「女性学が専門です」という必要がなくなりました。
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