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- 2024/06/17 掲載
ココ・シャネルの知られざる半生、世界を変えた「ジョブズ」「マスク」との共通点
連載:企業立志伝
嘘で隠すこともあった、孤児院で過ごした少女時代
ココ・シャネル氏は1883年8月、父アルベール・シャネル26歳、母ジャンヌ・ドゥヴォル19歳の時に2番目の子どもとしてフランスのソーミュールで生まれています。父アルベールは家庭を顧みない、貧しい行商人でした。そんな貧しい生活がたたったのか、母ジャンヌは32歳で病死。父アルベールは2人の男の子を児童養護施設に預け、シャネル氏たち3人の姉妹はオバジーヌにある修道院附属の孤児院に預けられます。
しかし、このあたりの事情をシャネル氏が詳しく語ることはなく、時に虚構を交えた話をすることも多かったようですが、子ども時代についてこう回想しています。
「家も愛もなく、父も母もおらず、悲惨だった」(『シャネル、革命の秘密』p45)
のちの“革命”のヒントになった「修道院の服」
修道院にはシャネル氏のような孤児だけでなく、貴族の家の次男や次女、農家の子どもたちもいて、階級に応じた役割があり、何かにつけて反抗するシャネル氏にとっては決して居心地のいい場所ではありませんでした。それでもシャネル氏はここで読み書きを学び、本を読む経験をしています。
さらに、修道院の質素だけれども活動しやすい上質の白と黒の麻の服(当時、麻を白くするにはそれなりにお金がかかったといいます)に触れたことが、のちのシャネル氏のシンプルで活動しやすい服のデザインにつながったのではとも言われています。
自由を渇望した18歳「この牢獄を出るにはお金しかない」
やがて18歳になったシャネル氏は、ムーランにある修道院の寄宿学校に送られます。ここでも学費を払っている子と孤児の差ははっきりしており、シャネル氏は学費の代わりに家事労働をこなさなければならないなど、自分が低い身分であることを嫌というほど味わっています。その後、シャネル氏は2歳違いの叔母アドリエンヌ氏が働いていた洋裁店でお針子としての仕事を始めます。その先に描くのは庶民としての平凡な暮らしかと思いきや、シャネル氏は違っていました。当時のことをこう振り返っています。
「傲慢な人間の一番嬉しいことは、自由ということだ。ただ、自由でいるにはお金がかかる。この牢獄の門を開くには、お金しかないと私は考えていた。服を注文するカタログを眺めては、お金を湯水のように使う夢にひたっていた」(『シャネル哲学』p22)
シャネル氏はひたすら「自由」を追い求める少女でした。 【次ページ】「自由」のためにまず挑戦したのは……シャネル氏の知られざる歩み
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