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- 2021/08/30 掲載
なぜナイキはNo.1になれたのか?「勝利」を追求した創業者に学ぶ「自分を鼓舞する力」
連載:企業立志伝
スポーツに打ち込んだ学生時代
フィル・ナイト氏は1938年、オレゴン州ポートランドで生まれています。父親は『オレゴン・ジャーナル』という新聞を発行しており、ナイト氏によると堅実な仕事のおかげでポートランド郊外に広々とした白い邸宅を購入し、何不自由ない暮らしができていたといいます。陸上競技とクロスカントリーに打ち込んでいたナイト氏は、のちにオリンピック代表チームのコーチも務めた名指導者ビル・バウワーマン氏の指導を受けるため、オレゴン大学に進み陸上部に入部します。
ナイト氏は4マイル・リレーチームのメンバーになったことがありますが、優秀なランナーの多い陸上部では「やる気と粘り強さだけを身上とするその他大勢のランナーの1人に過ぎなかった」(『ジャスト・ドゥ・イット』p77)ようです。
スタンフォードの課題で日本メーカーに着目
オレゴン大学でジャーナリズムについて学んでいたナイト氏は、将来のことを考えてスタンフォード大学ビジネススクールの経営管理課程に進みます。自分の得意な分野で小規模ビジネスを始めることを想定したレポートを書くことになったナイト氏は、自分がよく知る競技用の運動靴市場についてまとめることにしました。当時、アメリカではドイツのアディダスのランニングシューズが高いシェアを誇っていましたが、その品質は決して良いとは言えなかったうえに、価格も法外でした。ナイト氏自身もアディダスの靴を履いていましたが、レポートをまとめるにあたり、その牙城を崩すにはどうすればいいかを考えたのです。
ヒントは、『オレゴン・ジャーナル』に掲載されていた「日本製の安価なニコンの新作カメラが、高価で伝統のあるドイツ製カメラのライカにとって代わるだろうか」(『ジャスト・ドゥ・イット』p80)というカメラマンたちの議論でした。ナイト氏はレポートでこう結論付けます。
「日本製品は粗悪だと言われているが、低価格指向の日本メーカーが高品質のランニングシューズをつくれるなら、価格による差別化で日本が新たなマーケットを開くことになるであろう」(『ジャスト・ドゥ・イット』p80)
そしてアメリカ市場でそれができるとしたら、ランナーが何を求めているかをよく知る自分しかいないというのがナイト氏の結論でした。クラスメートのみんなはそのアイデアに関心を寄せることはありませんでしたが、教授はAの評価をくれました。
「馬鹿げている」と言わせておけ、走り続けろ
本来ならこのアイデアはそこで終わり、ナイト氏はMBAを取得したエリートとして社会に出るはずでしたが、その後も毎朝走りながら「日本に行き、靴会社を見つけて、自分のアイデアを売り込もう」と考えるようになります。1962年のある日、ナイト氏は自分にこう言い聞かせました。「馬鹿げたアイデアだと言いたい連中には、そう言わせておけ……走り続けろ。立ち止まるな。目標に到達するまで、止まることなど考えるな。“そこ”がどこにあるのかも考えるな。何が起ころうと立ち止まるな」(『SHOE DOG』p8)
ナイト氏は日本行くことを決意、その途中でさまざまな国を旅しようと考えます。
【次ページ】オニツカ訪問、とっさに思いついた「ブルーリボンスポーツ」
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