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- 2024/03/19 掲載
マイクロソフトCEOナデラ氏が重視する「3視点」、就任から時価総額10倍にできたワケ
連載:企業立志伝
ナデラ氏の基礎、クリケットで学んだ「人生の3原則」
サティア・ナデラ氏は1967年、インドのハイデラバードで生まれています。父親はインド行政職(IAS)で働く公務員、母親はサンスクリット語の学者で、父親の仕事の都合で幼少時代には何度も引っ越しを経験したようです。当時のインドでは、IASの試験に合格すれば一生安泰だと考えられていましたが、ナデラ氏自身は両親から勉強を強制されることはなく、勉強はするけれども、それ以上にクリケットに熱中。学校の代表としてプレーするほどクリケットが得意な少年でした。
ナデラ氏は、著書『Hit Refresh』でクリケットから大切な3つの原則を学んだと記しています。
第1の原則:おじけづき、ためらってしまうような場面でも気迫と熱意で立ち向かう
第2の原則:自分個人の成績や評判よりも、チームを第一に考える
第3の原則:自分が率いているメンバーの自信を高めること、それこそがリーダーの一番の仕事
(『Hit Refresh』p58~p61)
いずれもナデラ氏の人生における大切な原則となっていますが、転機は15歳の時に訪れます。
「そうすれば人生に失敗しない」学生時代に導き出した“軸”
その後、インドの子どもたちが憧れるインド工科大学の入学試験には失敗、マニパル工科大学の電気工学部に入学します。そこはクリケットには不向きだったため、ナデラ氏は在学中にクリケットをやめますが、代わりに起業家精神あふれる友人たちと出会ったことで、「コンピューターが自分にとって最も大切なものになった」と後に振り返っています。
当時、ナデラ氏は自分の将来についてこう考えていたようです。
「自分の好きなことをしていれば、ベースは自(おの)ずと決まる。自分が楽しいと思うことを、よこしまな目的に左右されず、心を込めてしっかりとやる。そうすれば、人生に失敗することはない」
(『Hit Refresh』p37)
大学を卒業したナデラ氏は、南イタリアのポンペイにある有名な生産工学研究所に入所するか、米国の大学に進むかで迷いますが、幸いにもビザが下りたことで、米ウィスコンシン大学のコンピューター科学の修士課程へと進みます。1988年、21歳の時です。 【次ページ】グーグルCEOら輩出した名門企業を経てマイクロソフトへ
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