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一時はアマゾンのジェフ・ベゾス氏を抜いて世界一の富豪にもなったイーロン・マスク氏。CEOを務めるテスラは、ガソリン車から電気自動車へのシフトの引き金をひき、創業者でもあるスペースXは民間で初めて人類を宇宙に運んだ唯一の会社です。なぜ、マスク氏はこれほどの企業を20年足らずでつくりあげることができたのでしょうか。「世界を救う」ことを夢見た少年が、世界中からその一挙手一投足を注目される実業家になるまでを、前後編に分けてたどっていきます。前編となる今回は、マスク氏の基礎が見えてきました。(2023年8月18日、2022年12月19日に年表情報を更新、2021年1月28日初出)
10歳でプログラミング習得、12歳で自作のゲームソフトを売る
イーロン・マスク氏は1971年6月28日、父エロル・マスク、母メイ・ホールドマンの長男(3人兄弟)として南アフリカ共和国の首都の1つ(行政府)であり、アフリカ有数の大都市でもあるプレトリアで生まれています。
父親のエロルは地元のエンジニアであり、何か分からないことがあるとすぐに「どうなっているの?」と尋ねるマスク氏に何でも教えてくれました。母親のメイは栄養士で、モデルもやっていたという美貌の持ち主でした。マスク氏が8歳の頃に両親は離婚、マスク氏は母親に連れられて弟や妹とともに南アフリカの都市を転々とします。
子ども時代のマスク氏は無類の読書好きでした。1日に2冊の本を読み、ファンタジー小説やSF小説をたくさん読んだことがのちの「世界を救う」という夢につながっているかもしれないとマスク氏は話しています。
コンピューターにも人一倍関心を持っていました。10歳でプログラミングを独学でマスターし、12歳の時には自作の対戦ゲームソフトを売り、500ドルを手にしているほどです。
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過酷な労働を経てようやく米国へ、大学院は2日で退学
マスク氏は12歳の時、母親の元を離れて父親の元に行き、18歳の時に母親の出身地カナダに単身移住しています。米国の「やる気さえあれば何でもできる」という精神と、最新のテクノロジーへの憧れから米国への移住を試みますが、そう簡単ではありませんでした。
隣国カナダで母親の親戚の家を転々としながらチェーンソーを使った木の伐採やボイラー室の清掃といった過酷な労働の日々を送ったのち、1989年に19歳でカナダのクイーンズ大学に入学。2年後に奨学金を得てようやく米国のペンシルベニア大学ウォートン校に進んでいます。
同校で物理学と経済学の学士号を取得したマスク氏は1995年、応用物理学を学ぶため名門スタンフォード大学の大学院物理学課程に進みますが、「新聞などのメディア向けにウェブサイトの開発などを支援するソフトウェアを提供する」というアイデアを思いつき、わずか2日間で退学しています。こう考えていたようです。
「大学生の時、将来人類にとって最も重要になるものは何かを考えた。答えはインターネット、持続可能エネルギー、そして複数の惑星での生活の3つだった」(『週刊東洋経済』2013.1.12)
「Zip2」を創業、「貧しくてもハッピーであれ」
マスク氏にはビデオゲーム開発の才能もありましたが、「心の底から好きなことではあっても、生涯の職業として人生を賭けることはできない」(『イーロン・マスク』p61)と判断。上記の3つを追いかけることを決め、すぐにできることであるインターネットを最初のビジネスとして選びます。そして弟のキンバル・マスク氏とともにオンラインコンテンツ会社「Zip2」を起業しています。
しかし、起業はしたものの、当時のマスク氏には資金がありませんでした。アパートより安い賃貸オフィスを借りて、そこで寝泊まりをして、シャワーは近くのYМCAで浴びて、たまに行くファストフードが唯一のごちそうという貧しい生活だったといいます。ですが、マスク氏が貧しさに負けることはありませんでした。こう振り返っています。
「貧しくてもハッピーであることは、リスクを取る際に大きな助けになります」(『日経ビジネス』2014.9.30)
やがてITブームが到来し、マスク氏の会社も順調に成長。1999年にZip2はコンパックに3億700万ドルで買収され、マスク氏も2,200万ドルを手にしています。
「Xドットコム」の立ち上げ、「ペイパル」の成功
そのお金をもとにマスク氏は次の夢に向かいます。オンライン金融サービスと電子メール支払いサービスを行う会社「Xドットコム」の立ち上げです。
ちょうどその頃、
ピーター・ティール氏が創業したコンフィニティという会社も同様のシステム「ペイパル」を開発、オークションサイトの「イーベイ」で使われ始めていました。2002年にXドットコムとコンフィニティは合併、社名を「ペイパル」とし、最大株主のマスク氏は会長(のちにCEО)に就任しています。
優れたサービスを生み出しながら権力闘争も多かった会社ですが、ペイパルの成功こそがマスク氏にその後の「世界を救う」ための挑戦を可能にしてくれたのです。
2000年3月、Xドットコムとコンフィニティが合併して誕生したペイパルのCEОにはビル・ハリス氏が就任、マスク氏は会長となり、CFОにはピーター・ティール氏が就任しています。
合併によって無益な競争から解放され、資金調達も順調に進んだこともあり、この合併は最初こそ成功したように見えました。しかし、両社の企業文化の違い、マスク氏とティール氏の考え方の違いもあり、社内での抗争は激しさを増していきます。
【次ページ】週100時間勤務を生み出した「ペイパルの乱」
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