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世界が注目する実業家、イーロン・マスク氏。
前編では、生い立ちからスペースXを創業するまでの半生をたどり、マスク氏の基礎が見えてきました。十分すぎる富を得てもなお、なぜ無謀と言われた宇宙ビジネスに挑戦し、破産寸前まで追い詰められたテスラをどうやって時価総額1位まで導いたのか──。「不可能を可能にする経営者」と言われる理由に迫ります。(2023年8月18日、2022年12月19日に年表情報を更新、2021年1月28日初出)
無謀と思われた「宇宙ビジネスの価格破壊」への挑戦
2002年、スペースXを設立したマスク氏が事業開始にあたって目指していたのは「宇宙分野のサウスウェスト航空」になることでした。同社は格安航空会社の雄として低価格、低コストを実現、企業としても優良企業として知られています。スペースXも同様に、宇宙ビジネスの「価格破壊」を実現しながら優良企業を目指そうとしました。
長い間、宇宙ロケットの打ち上げは各国政府の手厚い支援を受けた大手企業が担い、軍需産業と同じく価格やコストよりも性能や国の威信の方が重視されています。そして、ロケットの開発にはとてつもないリスクがつきまといます。
1957年から66年まで、米国では400基を超えるロケットが打ち上げられ、そのうちの100基以上が爆発しています。
その事実からも分かるように、スペースXのような実績を持たない民間企業が短期間(計画では設立から15カ月で打ち上げを行う)でロケットを開発して打ち上げるだけでなく、いずれは火星に人を運ぶなど、あまりに無謀な挑戦でした。
さらにロケット開発には莫大な資金が必要になります。当時、マスク氏はペイパルの売却によって1億ドルを超える資金を手にしていましたが、国が用意する資金とは比較になりません。
こうした不利な条件を抱えていたにもかかわらず、設立から数年でロケットの打ち上げを相次いで成功させたばかりか、国際宇宙ステーションに物資や人を運ぶNASAとの巨額契約にこぎ着け、大手企業を押しのけて商業用の人工衛星の打ち上げも多数受注するようになったのですから、「すごい」の一言ですが、もちろんそこに至る道は平たんではありませんでした。
スペースXとテスラ、どっちをとるか、それとも共倒れか
スペースXが初めてロケットの打ち上げに挑戦した2006年3月には、発射からわずか25秒で制御不能となり地上に落下。2007年3月に2度目の挑戦をし、この時もロケットは空中分解して爆発しています。3度目の挑戦となる2008年8月は、ロケットの第一段と第二段が切り離された際に爆発事故を起こしています。
「こんなことでへこたれるな。すぐに冷静になって、何が起きたのかを見きわめて、原因を取り除けばいい。そうすれば失望は希望と集中に変わるんだ」(『イーロン・マスク』p192)
マスク氏はこのように語り、うちひしがれる社員を励ましましたが、実はマスク氏自身もこの時期にはどん底を迎えていました。
マスク氏は2004年に「テスラモーターズ」に出資、電気自動車の開発に取り組んでいましたが、「ロードスター」の開発が遅々として進まず、マスク氏は資金的に苦境に立たされていました。
テスラがロードスターの開発に要した期間は4年半、資金は1億4,000万ドルにのぼっています。その多くをマスク氏は個人資産と個人で調達する資金で支えていますが、一向に車は完成しませんでした。
一方で、スペースXの相次ぐ失敗もあって、「スペースXを取るか、テスラを取るか、それとも共倒れか」という選択を迫られることになりました。「共倒れ」にはもちろんマスク氏も含まれていました。
自動車開発も宇宙ロケット開発も莫大な資金を必要とします。開発に要する期間も長いうえ、当然、そこには失敗のリスクもあります。だからこそ、自動車や宇宙ロケットをつくることのできる国は限られていますし、国の支援を受けることで開発を進めている企業が少なくありません。
マスク氏のように個人資産でこうした巨大産業に挑戦するのはたしかに無謀といえますが、それを支えるのはマスク氏の「電気自動車の未来を切り開きたい」「人類を宇宙に送り込みたい」という強い使命感です。
だからこそマスク氏は、テスラとスペースXを救うために個人資産をつぎこみ、現金をつくるためにマクラーレンなどの資産を次々と売り払い、友人に借金までして挑戦を続けています。こう残しています。
「最後の1ドルまで会社のために使いたい。一文無しになってジャスティン(当時の妻)の実家に間借りせざるを得なくなったら、それはそれで受け入れるさ」(『イーロン・マスク』p184)
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