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- 2025/02/17 掲載
実は「アウトサイダーな人生」だった…平井一夫氏に聞く「ソニー再生」を託された理由
前編はこちら(この記事は後編です)
「危機的な状況にあった」ソニーでCEO就任
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そこで当時、エレクトロニクスの中で最大のビジネスであり、赤字が続いていたテレビ事業から再建に着手することとしました。具体的には、販売目標台数を引き下げ、「台数を追う=価格競争」の負の循環を断ち切り、「販売台数に依存した流通モデル」から脱却することにしたのです。
しかし、販売ルートの整理には当然ながら社内から大きな反発がありました。私はエレクトロニクス事業に関しては素人ですが、そんな私から見ても明らかに改革は待ったなしの状態。社員もその状況を見ていますし、株式市場からもかなり厳しい評価がされていました。
当時のソニーはそれだけ危機的な状況下にあったのです。
「ソニー再生」の旗振り役、なぜ自分が選ばれた?
ではなぜ、自分がソニーの社長に選ばれたのでしょうか。その理由には、いくつかのポイントがあると思います。1つは、私自身がこれまでに、難しい状況にあった会社の事業再建(ターンアラウンド)に何度か携わった経験があったことです。2つ目は、私が部外者であることです。これまで音楽やゲームビジネスのマネジメントしか経験したことがありませんでした。本業のエレクトロニクスのビジネスはマネジメントの経験がなかったのですが、だからこそ、厳しい状況に置かれている会社を、既存の考え方の枠にとらわれずに改革していくには最適だと期待されたのではないかと思います。
もう1つあるとすれば、私はどちらかというとあまり物事に悩まないし、クヨクヨしません。その意味で、課題解決を推し進める「火事場の馬鹿力タイプ」であると自認しています。そのことが、ソニーが置かれた状況に適していたと評価されたのではないかと思います。
逆に言えば、私は安定し、成長基調にある会社をさらに成長させるのはそれほど得意ではありません。それは自分が1番よくわかっています。
その点、私の後任の吉田(憲一郎)さんや、その後任の十時(裕樹)さんというのは、会社の成長を考えながら、どんどん実績を上げて、ソニーグループ全体を底上げし成長させることができる人材です。会社というのはつくづく、自社が置かれた状況に応じてどんなマネジメントが必要かを見極める力が求められていると実感します。
私が火事場の馬鹿力タイプであるのは、今思えば、私の人生が「アウトサイダー」の経験の連続だったことがつながっているのではないかと思います。 【次ページ】私の人生は『アウトサイダー』の連続だった…
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