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2020年の東京オリンピック開催で、スポーツウェアをはじめとするスポーツ用品業界も注目度が高まっている。ナイキやアディダスなどの世界の大手スポーツ用品メーカーは、スポーツの世界的な普及に足並みを合わせて、ブランドの浸透やタウンユースの拡大を図り、事業を伸ばしてきた。しかし、先進国を拠点とする各社は自国市場の頭打ちに伴い、「アスレジャー」と呼ばれるようなファッション性の追求、新しい顧客層の開拓、新興国への進出、M&Aによる事業拡大など、成長戦略の練り直しを迫られている。
スポーツ用品市場はどのように生まれたのか
スポーツ用品とは、サッカーや野球といった競技別のユニフォーム、スイミングウェア、トレーニングウェア、ジャージ、ソックスなどの衣料品(スポーツウェア)のほか、スポーツシューズ、キャップなど身につけるアクセサリー、野球のバットやサッカーボールといったスポーツギアも含まれる。
スポーツウェアは、スポーツの発祥とともに存在したわけだから、極めて古い歴史がある。たとえば、日本の狩衣(かりぎぬ)。もともと古代の貴族の狩猟服だったのが、平安時代には貴族の日常着になった。
欧米の例では、ポロシャツもポロ(馬に乗って行うフィールドホッケーのようなスポーツ)用の競技服だったのが、日常着としても使われるようになったものだ。
とはいえ、スポーツ用品産業が本格的に成立したのは近代になってから。とりわけ、グローバル化したのは戦後、1960年代以降のことである。
スポーツ用品産業の発展は言うまでもなく、スポーツの振興と軌を一にしている。産業そのものがグローバル化したのは、オリンピックやサッカーのワールドカップなどの商業化によって、スポーツビジネスが巨大化し、さらにグローバルに広まったからだ。
スポーツ用品ビジネスを巨大化させたのはテレビ
その背景にあるのはメディア、中でもテレビの普及である。テレビの中継があれば、自宅に居ながらにして、世界各地で行われるスポーツの試合をリアルタイムで視聴できる。
テレビ観戦する人が増えることで、スポーツの認知度が高まり、やがてテレビに触発され、自分でもスポーツを始める人が増えるという構図である。たとえば、戦後の日本の子どもたちは、テレビでプロ野球や高校野球を見て野球選手に憧れ、草野球に興じた。その結果、野球の競技人口が拡大し、同時に野球を観戦する愛好者も激増したのである。
ここで注意すべきなのは、必ずしも競技者ではない「スポーツ愛好者」の増加がスポーツ用品ビジネスの発展に深くかかわっていることだ。たとえば、プロ野球の球場の観客席では、贔屓のチームのユニフォームを着て応援している女性や小さな子どもも少なくない。つまり、多数の観客を動員できる人気スポーツは、競技人口をはるかに超えたスポーツ用品の“市場”を有しているわけだ。
さらに、スポーツ愛好者は、スポーツを観戦するときだけでなく、日常着としてもスポーツウェアを愛用するようになる。いわゆる「タウンユース(シティユース)」である。
スポーツウェアは、「吸湿速乾」のように基本的に機能性が高い。着心地がよく、体を動かすのがらくなものも多い。加えて、デザインも洗練されている。つまり、“かっこいい”のである。
なぜなら、スポーツウェアはその性質上、視認性を高める必要があるし、興業上かっこよくなければ、競技者の士気にかかわり、観客にも競技のファンになってもらえないからである。
そうしてスポーツ用品が日常のライフシーンに進出すると、スポーツとはまったく関係ないが、流行に敏感な若者などがそれを取り入れ、ファッションブランドとして定着していく(スポーツ用品メーカーもビジネス上、ファッション性をより追求するようになる)。日本でも、老若男女が「アディダス」や「ナイキ」の服や靴で街を闊歩している。それが、巨大化したスポーツ用品市場の今日の姿である。
世界ランキング1位はもちろんナイキ、アンダーアーマーも台頭
スポーツ用品メーカーのグローバルランキングは、以下のとおりだ。
一見してわかるように、すべて日米欧の先進国企業に占められている。なぜなら、先進国は「スポーツ大国」でもあるからだ。国民の所得水準が高く、生活に余裕がなければ、スポーツ産業の振興は難しい。
とりわけ、目につくのが米国勢だ。米国は、オリンピックのメダル数でも常に上位を争っているように、名実ともに世界最大のスポーツ王国、スポーツビジネス王国である。それに
前回のフィットネスクラブのランキングでも紹介したように、国民の健康志向が高く、スポーツ人口の裾野が広いといったバックボーンもある。
世界第1位は米国のナイキである。日本で知らない人はまずいないだろう。1964年、フィル・ナイトとビル・バウワーマンによって設立された。ナイトは中距離走選手で、経営を担当した。
バウワーマンは陸上競技の指導者で商品の研究開発を担当、ナイトの大学時代のコーチでもあり、ジョギングを世に広めた立役者でもあった。そうした関係で、当初の主力商品はランニングシューズ。意外に知られていないが、実は前身のBRS(ブルーリボンスポーツ)社はアシックス(当時はオニツカタイガー)の輸入代理店だった。
【次ページ】アシックスの輸入代理店だったナイキが世界一になった理由
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