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マネーフォワードの創業に参画し、現在、同社の取締役執行役員 マネーフォワード Fintech(フィンテック)研究所長をつとめるのが瀧 俊雄 氏だ。大学卒業後、野村證券に入社し、野村資本市場研究所で家計行動、年金制度、金融機関ビジネスモデル等を研究していた瀧氏は、米国留学で起業のきっかけをつかむ。ただし、自らを「研究者」と位置付け、「研究者が起業して失敗した事例をたくさん見てきた」と語る瀧氏が最初にとった行動は、他の起業家を訪れることだった。マネーフォワード CEO 辻 庸介 氏との出会いも含めて、起業の経緯や苦悩、喜びを語った。
マネーフォワードを立ち上げるまでの経緯、人との出会い
──Fintech研究所長としてフィンテックについて語られることが多いと思いますが、今日は起業家としての瀧さんの話を伺えればと思います。まずは、起業のきっかけからお聞かせください。
瀧 俊雄 氏(以下、瀧):2004年に野村證券に入ったときから仕事でやりたいことは変わっておらず、お金から日本を変えたいと思っていました。もっと市場が生かされる社会にしたいとずっと思っていて、そのインパクトが日本で一番大きい仕事は何だろうかと。野村證券は市場を考える上で一番適したプレーヤーで、その中で研究の仕事があるというのが、就職活動を行っていた当時の大事な軸になっていました。
リサーチャーとして入社し、「個人の金融行動」「公的年金制度の運用の在り方」「インフラのファンド化」の3つのテーマを研究しました。この3つは遠いのですが、結合しています。日本は人口が減っていて、お金が足りなくなる可能性がある。限られた資源を丁寧に使っていかないと、人間は今までより不幸になってしまうという危惧があります。
「競争」や「市場」といった、本来の経済が持つ正しいインセンティブ設計をすることで、日本はもっとうまく回るようになるという思いがありました。
──その後、米国に留学されたのは、どういう理由だったのでしょうか。
瀧:研究が行き詰りを見せていたタイミングで、会社の制度で米国に留学することになりました。ただ、留学中も、自分は帰国したら政府向けの提言や研究を行っていくのだろうとは思っていました。
米国では、1つ目の(研究)テーマに関連して、PFM(Personal Financial Management)のMint.comのようなサービスを見ました。当然、研究者目線で見るのですが「これは面白い」と感じました。日本にも既存サービスはありましたが、それほど流行っていませんでした。
また、ロボアドバイザーのはしりである「Financial Engines」がいて、2010年に上場しました。完全に研究者目線で、この類の会社が上場でき、テクノロジーの会社だけでこんなにビッグマネーが動くのだと実感しました。
ぽっと出の3~4人くらいで始めた会社が大きな変化を起こせると知り、もしかしたら自分にもできるかもしれないと思いました。しかも、金融とテクノロジーなら、広大なフロンティアがあるじゃないかと。
そこで、4人の起業家を訪ねました。研究者が起業して失敗した事例をたくさん見てきたので、しっかりした人を(チームに)入れないと、自分のアイデアが良くても、ダメになると思ったからです。
──具体的に、どのような方を訪れたのですか?
瀧:4人はランダムなタイプを探しました。1人目が閑歳さん(閑歳孝子氏 Zaim 代表取締役)でした。Mint.comのようなPFMをやりたいと思っていたのですが、アカウントアグリゲーション(預金者が保有する複数の口座の情報を、単一の画面に集約、表示するテクノロジー)をどうすればよいか分かりませんでした。そこで、友人が家計簿を作っている知り合いを紹介してくれたのです。それが閑歳さんでした。
もう1人が福山太郎氏(Fond CEO)です。当時おられたシンガポールへ電話しましたが、(金融周りのビジネスには)全然興味がないことが分かりました(笑)。3人目がPayPal時代の佐俣さん(佐俣奈緒子 氏 コイニー 代表取締役社長)です。金融とITに詳しい女性として紹介されたのですが、佐俣さんには「私、ハードウェアの会社やるんですよ」と断られ、そのときは何の事業をするのかと思ってですね(笑)。気づいたら、ハードウェアのドングルの会社(コイニー)を作っていたのです。
そうした中で、辻(辻 庸介氏:マネーフォワード 代表取締役社長CEO)に出会ったのです。辻はマネックス証券から留学していたのですが、色々なアイデアをぶつける中で一番話が盛り上がり、まずは知り合いを頼りながら会社を作ろうとなりました。
起業とは消極的な選択肢、ファーストペンギンは「後ろに押されて落ちている」
──なぜ、マネーフォワードを立ち上げようと思われたのですか。
瀧:この時代なら、金融機関にならなくても日本のお金を動かせると思ったからです。そのためには、ツールを出さなければならないと思いました。最初はソーシャル型家計簿を作ろうとしていたのですが、それが頓挫して、ソーシャルではない家計簿になりました。
私は、25歳で結婚した直後、30万~40万円くらいしか貯金がなく、お金の管理が大変だった思い出があります。その頃、自分でExcelを使って家計簿を1円単位で2~3年付けていて、その間は出費を抑えられたのです。
それが忙しくなって家計簿を付けなくなると、お金をセーブできなくなって、もうExcelで家計簿を付けるのは嫌だなと思っていました。自分が欲しいと思えるものを作ろうとした結果、思った以上にモノづくりにも関わることになりました。
ただ、そういうビジョン重視で起業する人はつらい目に遭うことが多いようで、当社もその一つでした。最初、自己資金を皆で合わせて2,000万円出資して、6人で共同創業しました。そこからマネックスに2,000万円を出資していただき、その後、個人投資家を中心に約1億円を集め、ジャフコから5億円を調達という流れでした。でも、最初の1年間は収益モデルがなかったのです。「無料で使える」家計簿だったので。
──「過ごしやすい」環境を捨て、あえて苦難の道に飛び込んだわけですが、なぜそれを選んだのでしょうか。また、そうした起業するまでの葛藤や問題をどのように乗り越えてきたのですか?
瀧:2つポイントがあります。1つは周りに起業家がいたということです。シリコンバレーに住むと必然ですが、今の世の中、たぶんそうではない方法でも(起業家がいる環境に身を置くことは)可能だと思います。
日本ではよく、ビジネススクールを出た優秀な人はコンサル、IB(Investment Bank:投資銀行)、ヘッジファンド、PE(Private Equity:投資会社)などに行き、さらに優秀な人が起業すると思われているようです。
しかし、現実はそうではないと思うのです。起業というのは、もっと消極的な選択肢で、ファーストペンギンは「後ろの奴に押されて落ちている」のです。やむを得ず、うっかりするのが起業だと思っています。やりたいことがあって、手段として起業が存在していて、別にそれができたから偉いとか偉くないとかまったくない。
ただし、起業したらみんな必死に働くわけです。必死にやった結果、資金調達も受けて事業を拡大させています。私にとってAnyPerk(現Fond)はそういう会社の1つです。上述した福山太郎氏や、一緒にいるサニー(Sunny Tsang氏:Fond Designer & Co-Founder)とは仲がいいのですが、彼は出会ったときは失業者でした。
──仕事は何もされていなかったのでしょうか?
瀧:ネットフリックスで1日に映画を4~5本見て、全部の感想を送ってくれましたよ。「いいからもう働きなよ!」って(笑)。そういう人が一緒に起業して、あそこまでしっかり成長できたのです。
身近な人が起業していると、とても勇気をもらえるんです。自分でもできるんじゃないかって。同級生に起業家がいて、その人が最初は何もやりそうじゃなかった、という事例が大切だと思います。
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