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- 2016/11/17 掲載
新津春子氏が語る、羽田空港を「清潔な空港世界一」に導いた「仕事の流儀」
クリーンフォーラム2016レポート

社会的地位の低い掃除人から、総勢700名のトップに
「自分の生活費は自分で稼ぐ」というのが両親の教育方針であったことから、高校に通いながらアルバイトを掛け持ちするのだが、言葉が通じなくてもできる仕事は、中国でも日本でも社会的地位の低かった清掃しかなかった。
23歳のときに現在の日本空港テクノに入社した。同社は羽田空港を運営する日本空港ビルデングの子会社だが、空港のみならず東京、千葉、神奈川を拠点に広く総合ビルメンテナンス業を営んでいる。そこで厳しくも理解ある上司との出会いがあり、同氏は清掃業を極めることを決意する。
新津氏はビルクリーニング技能士、清掃作業監督者など清掃業に関するさまざまな業界資格を取得し始めるとともに、最年少で全国ビルクリーニング技能競技大会に出場、優勝するという快挙を成し遂げた。以来、46歳の今日に至るまで清掃一筋の道を歩み、休む間を惜しみ働いてきた。
そして、羽田空港は、英国スカイトラックスにより「清潔な空港世界一」に認定された。新津氏はその原動力として認められ、現在は協力会社約700名のスタッフを束ねるトップである環境マイスターに就任。羽田空港の清潔維持に関して責任を負いながら、後輩の指導・育成に当たっている。
他人の意見に左右されて自分を失ってはいけない
新津氏には、清掃業界で働くことへの葛藤があった。ある質問者は、「清掃というとどうしても社会的地位が低く見られてしまう。新津さんはどうモチベーションを維持しているのか」と尋ねた。それに対し同氏は「人からどのように思われるかは考えていない」と答えた。
「悪く思われてもいいし、逆にほめられても『そうですか、ありがとう』で終わり。十人いれば十通りの考え方があります。それにいちいち左右されていたら、自分というものが何も残りません。それならむしろ私は死んだ方がいい。世界中に私はただ1人。自分が自分を認められればそれでいいと思っています。
若いころ、中国でも日本でもいじめられました。それは一生忘れられませんが、私は何かで成功することで仕返しをしようと考えました。多くの人に認めてもらうためには、何かに優れている必要がある。私にとってはそれが清掃だったのです」(新津氏)
【次ページ】いやいや入社してきた人の育て方
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