『ニコニコ時給800円』著者 海猫沢めろん氏インタビュー
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人気作家・海猫沢めろん氏の新作『ニコニコ時給800円』(集英社)は、仕事や職業をめぐる5つの物語が収録された連作小説だ。綿密な取材を踏まえて紡ぎ出されたストーリーは、なかなか見えてこない現代の若者の労働観なども捉えていて読み応えがある。本書ができるまでの舞台裏や執筆を通して感じたことなどを著者の海猫沢氏に伺った。
若者の労働問題が話題だったけど……
──『ニコニコ時給800円』は、連作短編小説の形をとって、5つの職業が描かれます。まず、ここで取り上げられた職業がピックアップされた経緯を教えてもらえます?
海猫沢めろん氏(以下、海猫沢氏)■職業ものの小説を書こうと思って、過去に読んだ小説を思い返してみたんですけど、どうもピンとくる作品がないんですよ。唯一、若い頃に読んだ純文学の小説で、岡崎祥久さんの『秒速10センチの越冬』という作品を、覚えてたんですね。なぜかというと、主人公の境遇が自分と似ていたからです。フリーターが主人公で、たまにお金が入ったときに散髪に行くのが楽しみとか、そんな些細なことがいまだに記憶に焼き付いていた。自分にとってリアリティのある職業ものの小説を描こうとすると、サラリーマンではなく、フリーターなんです。
で、どうせ書くのならありふれた職業なのに、小説には描かれにくい仕事が書きたかったわけです。だから、ファミレスやファストフードなんかではなくて、マンガ喫茶なんかを選んでいるのです。
──マンガ喫茶以外に舞台となる職場および仕事は、アパレルショップ、パチンコ店、そして低農薬農業とネットゲーム(マルチプレイオンライン)の監視員ですよね。これらはまず職業のあたりをつけてから取材をしたわけですか?
海猫沢氏■文芸誌『すばる』で本書のもととなる連載を始めた当時って、若者の労働問題が話題になっていたんですね。“ロスジェネ”(ロストジェネレーション[さまよえる世代])や“ワープア”(ワーキングプア)とか。俺の周囲はみんなフリーターみたいな感じだったので、これは取材で苦労せずに描けるんじゃないかって。
だけど、取材の順番を間違えたというか、最初に最終章に出てくる人物のモデルになった方を取材してしまって、これがあまりにインパクトが強かった。それで、これは最後に持っていこうと。で、その結論にもなる最終章に結びつけるために、逆算で他の職業を考えていった感じですね。
──それぞれ職業ごとに主人公が立てられ、その人物の目線で話が進みますけど、描き方としては個人よりも職場全体を描いていますよね。
海猫沢氏■実は最初、人間ではなくて職場の空間である建物の一人称で語らせようというアイデアもあったんです。たとえば、渋谷109の建物が意識を持っていて、その目線で職場を俯瞰して語るみたいな。やっぱり無理があったので採用しませんでしたけど(苦笑)。
『13歳のハローワーク』に出てこない仕事の世界
──気になったのは、ディティールの部分、とくにそれぞれの職場の“システム”が詳細に触れられているところです。いわゆる比喩としてのシステムではなくて、ずばりショップのPOSレジとか、個々の現場に仕事用に導入されているコンピューターのシステムですけど。
海猫沢氏■マンガ喫茶の店員からは客のプライバシーがわりと見えてしまうとか、アパレルショップのPOSレジがビル全体で共有されているとかいったやつですよね。あれは、フィクションじゃなくて、わりと現実を踏まえています。マンガ喫茶のシステムは見せてもらいました。アパレルショップのシステムは、ビル側が教えてくれるらしくて、他店舗の売り上げがこうだから、おたくのお店ももっとがんばれとか教えてくれるという話を聞きました。
──パチンコ台に向かい合っているだけではわからない、その仕事の裏側がわかりますよね。
海猫沢氏■パチンコ屋では、昔働いていたんですよ。俺が働いていたのは90年代の地方の国道沿いのでかいパチンコ屋なんです。だから都会のパチンコ屋とは違うかもしれない。利権とかの話はやめておきましょうか、怖いし。だけど、俺のいたパチンコ屋は、逃亡中の犯罪者が実際にいたんですね(笑)。これまたごく少数の特殊なケースだったとは思いますけど。
で、働く前は郊外のパチンコ店って、なんであんなにでかいんだろうって不思議だったんですけど、その謎は解けましたね。2階で店員たちがみんなで生活しているんですよ。ちゃぶ台囲んだりして。俺はそれに耐えられずに2日で逃げ出しました(笑)。
──では、パチンコ屋は自らの経験で書けたと。
海猫沢氏■でも取材していますよ。物語を作るためにどういう人が働いてるのか知りたかったんですよ。パチンコ屋が一番難しかったです。アパレルだったら服を好きな人が働いているんだなあとか、商品や業界の知識を得ながらバイヤーを目指すといったステップアップの道が見えてくるんですけど、パチンコ屋の店員はちょっと見えてこない。「いや、パチンコ好きっす」という返事をもらうばかりで、背景の物語がよくわからなかった。そもそもパチンコが趣味って、よくわからないんですよ。ギャンブルが好きなのとも違うだろうし、ゲームとして楽しんでいるってわけでもなさそうですよね。だって、パチンコ台を買って家で遊ぶ人なんていないでしょうしね。パチンコって謎が多いんですよ。
──取材+実体験で、その職業のディティールを描くというのをきちんとやって、物語を生み出していくと。
海猫沢氏■この小説を書くにあたって、意識したものの1つに『13歳のハローワーク』があったんです。もしね、この本を中学生時代の自分が読んだとしたら、知りたいのはそこじゃねーよ、って感じたと思うんですよ。この本では、その就職することがすごろくのアガリになっている。でも仕事に就いたはいいけど、次の日から何が始まるのだろうって謎じゃないですか。俺の場合、それがすごく怖かったんですよ。「何をしたらいいんだ?」っていうのが気になってしまう。実際に働いてみると、意外に気楽なものだったりするってことがわかるわけですけど、そのことを働く前にはほとんど誰も教えてくれないんです。
──『13歳のハローワーク』は、村上龍が書いてベストセラーになった中学生向けの就職ガイドですよね。人生の早い時期から将来何になりたいかを決めておこう。その方が、将来有利になるという意図で書かれています。
海猫沢氏■ある職業に就くためには、大学を出たり、資格を取ったり、決められた人生のライフコースをたどらないといけない。そういう考え方がある一方で、『ニコニコ時給800円』に出てくるようなマンガ喫茶やパチンコ屋の店員たちって、ここが永久就職先と思って働いているわけじゃないんですよね。とりあえず、そこから始めざるを得ない場合もある。そもそも、昔は当たり前だった企業へ就職するという道筋だって、自明のものではなくなっているわけで、ラインを接続できなかった人たちは少数派ではなく、むしろ大勢居るわけだし。
──『13歳のハローワーク』は正攻法というか、親世代に好まれる職業ガイドという一面はあるかもしれません。でも一方で村上龍という作家は小説『69-sixty nine』を書いていた頃から、サラリーマンになれない自分という意識を持った作家でもありますよね。『13歳のハローワーク』は、そこから一貫した“サラリーマンという仕事はない”というメッセージでもあります。
海猫沢氏■そう、実はあそこに「作家」という職業も取り上げられていて、どう書いてあるかというと“どの職業も失敗した人がなる仕事”“最初に目指してはいけない”みたいに書かれているんですね。むしろ、(作家以外にも)そういう仕事をいっぱい教えてくれよって(笑)。
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