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  • 2021/04/27 掲載

任天堂元社長・岩田聡はなぜ革命を起こせたのか? 実践していた“面談術”とは

連載:企業立志伝

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1889年創業の老舗企業ながら業界をけん引し続ける任天堂。コロナ禍の巣ごもり需要の追い風を受け、家庭用ゲーム機「Nintendo Switch」、ゲームソフト「あつまれどうぶつの森」「桃太郎電鉄」などを筆頭に業績を伸ばしています。同社には、その成長を語るうえで欠かせない人物がいます。その人物こそ、今から20年余り前、同社がソニーとのゲーム機戦争で苦戦していた時期に社長に就任した岩田 聡氏です。岩田氏とはどんな人物であり、任天堂やゲーム業界をいかにして変えていったのでしょうか。同氏が大切にした面談術から、その人柄と組織改革の本質が見えてきました。
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世界から愛され続けるカリスマ・岩田 聡氏は、なぜ革命を起こせたのか。同氏が目指したものとは?
(写真:AP/アフロ)


「とんでもない高校生が札幌にいるらしい」

 岩田 聡氏は1959年に札幌市で生まれ、学校では学級委員長や生徒会長を務めるなど、早くからリーダーシップを発揮しています。コンピュータと初めて出会ったのは、北海道随一の進学校・札幌南高校に進学してからです。

 岩田氏は皿洗いなどのアルバイトでためたお金に父親からのお金を足して、ヒューレット・パッカード製のプログラムができる世界初の電卓を購入します。まだパソコンという言葉もない時代(「アップルⅡ」の発売が1977年)ですから、専門誌もなければ、教えてくれる人は誰もいない中、岩田氏は電卓にのめり込み、自作のゲームをつくっては同級生と一緒に遊んでいたといいます。

 完成させたゲームを岩田氏が日本のヒューレット・パッカードの代理店に送ったところ、「とんでもない高校生が札幌にいるらしいぞ」(『岩田さん』p17)と話題になったといいますから、完成度がとても高かったのでしょう。ですが、岩田氏自身はそれ以上に自分がつくったものを喜んでくれる友人の存在が大きかったと話しています。

「人間はやっぱり、自分のやったことをほめてくれたりよろこんでくれたりする人がいないと、木には登らないと思うんです」(『岩田さん』p18)


 コンピュータに魅せられた岩田氏は1978年、東京工業大学情報工学科に入学。入学祝い金などでコモドール製のコンピュータ「PET」を購入、プログラミングをしてはカセットテープに入れて、毎週のように池袋にある西武百貨店のパソコンショップに通うようになりました。

 そこで知り合った店員さんから「会社をつくるんだけど、バイトしに来ない?」と誘われたことが、ハル研究所で働くきっかけでした。秋葉原のマンションの一室を事務所にしてパソコン関連の周辺機器を開発、販売する会社でしたが、岩田氏はただ1人のゲームソフトの開発者としてアルバイトを始めることになったのです。


ハル研究所に初の開発担当として入社、任天堂との出会い

 大学を卒業した岩田氏はそのままハル研究所に入社しますが、開発担当の社員第一号の岩田氏に仕事を教えてくれる先輩はいません。開発のことは1人で判断し、1人で腕を磨くしかなかった岩田氏でしたが、入社2年目の1983年に任天堂から家庭用テレビゲーム機の「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」が発売されたことに衝撃を受けます。

 岩田氏は早くからパソコンで動くゲームを開発していましたが、何十万円もするパソコンよりも、1万5,000円のファミコンの方がゲームを遊ぶうえでは圧倒的に適していると思いました。同氏は「どうしてもあのファミコンの仕事をしたい」(『岩田さん』p22)という一心で京都の任天堂を訪問。以来、任天堂との取引が始まることになりました。

 ハル研究所は「ゴルフ」「ピンボール」といったファミコン初期を支えた有名ソフトを次々と送り出すことで成功をおさめます。社員数は約90名まで成長、岩田氏も開発部長となりますが、バブル崩壊の影響もあり1992年に和議を申請、事実上の倒産へと追い込まれたのです。そんなハル研究所への支援を表明したのが、のちに岩田氏をスカウトする任天堂社長の山内 溥氏です。

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任天堂の歩み

 山内氏は「岩田を再建に当たる社長とすること」(『任天堂』p89)を条件に開発資金の提供を決め、当時33歳の岩田氏は、社長として15億円の借金を抱える会社の再建に当たることとなったのです。

 ゲーム開発者として圧倒的な才能と実績のある岩田氏であれば、倒産状態の会社の社長にならずに他の道を選ぶ方法もあったはずですが、岩田氏はこう考えました。

「『逃げる』という選択肢はいちばん最初にありました。だけど、まずそれを捨てたんです。『もし逃げたら自分は一生後悔する』。最終的に決断した理由はそれしかないと思います。一緒に汗をかいた仲間がいるのにどうして逃げられるか、というのがいちばん大きい要素でした」(『岩田さん』p33)

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