エルバース教授の著書では、限定リリース戦略の事例として、レディー・ガガの2011年に大ヒットした『Born this way』の大ヒットを取り上げています。
レディー・ガガは、この曲をひっさげたコンサートツアー『Born this way ball』の冒頭で、ステージから観客に「my little monsters.(私のリトルモンスターたち)」と呼びかけています。リトル・モンスターとは、レディー・ガガがデビュー以来、FacebookやTwitterで使っていたファンの呼び名です。
彼女はSNSで自らメッセージをリトル・モンスターたち投げかけ、ファンの言葉に直接応えながら絆を深めて、2011年までにTwitterで最多のフォロワー数を獲得しました。こうした草の根的なファン拡大(限定リリース戦略)がピークに達した2011年2月に『Born this way』のシングルが、同年5月にはアルバムが発売され爆発的なヒットとなりました。
この『Born this way』という曲こそ、現在のレディー・ガガを作り上げた戦略の転換点でした。
凄すぎる戦略転換のタイミング
レディー・ガガとマネージャーのトロイ・カーターが契約するインタースコープレコードは、『Born this way』の発売にあたり、それまでの売れ行きに合わせて宣伝コストを調整する限定リリース戦略の路線から、「ワイドリリース戦略」(図表2)に転換させました。
2011年の年が開けると、日本でも『Born this way』のCMをよく目にするようになりました。同年5月にアルバムが発売されると、世界主要国のiTunesダウンロードチャートで1位を独占し、アメリカでは配信後3時間で1位を獲得しました。未だかつてないスピード感でレディー・ガガの成功はSNSを通じて飛び交いました。