1
会員になると、いいね!でマイページに保存できます。
1960年代、家電の「新・三種の神器」とも言われ、庶民の憬れの的であった3C(カラーテレビ、クーラー、自家用車)。時代は変わり、クーラーの家庭普及率は9割を超えるに至り、もはや憧れの存在ではなくなった。高い市場普及により買い替え需要しか見込めなくなった空調機は、一般消費者にとってオワコンなのかもしれないが、意外にも地球温暖化や環境への配慮から高機能化が進み、空調市場は成長傾向にあるのだ。現在、パナソニックや三菱電機といった国内家電大手は、そんな空調機市場への注力を宣言しているが、その前には王者ダイキン工業が立ちはだかる。今回は、空調市場の競争とダイキンの強さの秘密を解説する。
成長する空調機市場、しのぎを削る主要企業は?
空調機は、大きく家庭用空調機(いわゆるエアコン)と産業用空調機(ビルなどに入るもの)に分かれ、後者はさらに、業務用空調機とセントラル型空調機に分かれる。2018年の国内統計では、家庭用空調機、産業用空調機共に約7,000億円規模となっている。ここに対し、ダイキンをはじめ、パナソニックや三菱電機、シャープや日立、富士通ゼネラルなど国内家電メーカーがしのぎを削っている。
空調機はその消費電力の高さにより、古くから省エネの観点でターゲットとされてきた。たとえば、家庭用空調機に関しては、1997年の地球温暖化防止京都会議(COP3)を受け、翌1998年に大幅改正された「省エネ法(正式名称:エネルギーの使用の合理化に関する法律)」により、トップランナー基準が導入され、空調機メーカーには省エネに対するハードルが課されてきたのである。
さらに、国際的な環境問題の観点から、1988年には国際的にオゾン層へ悪影響のある物質への規制が制定され、エアコンの冷媒に使われる代替フロンもその対象となった(「モントリオール議定書」、その後段階的に規制が強化されていった)。国内でも1988年に「オゾン層保護法」(2018年改正)が施行され、代替フロンの製造と輸入が制限されることとなった。こうした社会的要請を受け、日本の空調機メーカーは空調機の高度化を推進してきたのだ。
さらに、温暖化の影響を受け、夏場に連続する猛暑により、空調市場は出荷台数も増加傾向にあり、こうした複合要因により空調市場は伸長を見せている(図表1)。こうした魅力的な市場に対し、パナソニックや三菱電機といった国内家電大手は、空調機への注力を宣言しているが、その前には王者ダイキン工業(以後、ダイキンと記す)が立ちはだかる。
時は戻って80年代、日本のモノづくりは世界を席巻していた。その後、日本社会はバブル後の「失われた10年」を迎え、さらにその10年が20年、30年と続き、近年の国内家電メーカーはまさに逆風の真っただ中であった。
そうした中、ダイキンは2012年の米国住宅用空調大手グッドマンの買収により、空調機のグローバルNo.1メーカーへと躍進した。なぜ、これほどまでに、ほかの空調機メーカーとダイキンの差は開いてしまったのか。ダイキンの強さの秘訣を探ってみたい。
ダイキンの凄いポイント(1):大胆すぎる「不採算事業の整理」
1924年、ダイキンの前身となる合資会社大阪金属工業所は創業者・山田晁の手により誕生した。世界的にも軍事的な対立が深まる中、飛行機用エンジンラジエーターチューブの製造という軍需にて成り立っていたが、1936年には日本初の電車冷房の試験用として、南海電鉄へ冷凍機を導入するなど、その「冷却機能」をズラし、エアコンの創出を成し遂げた。ここに民需の拡大が始まったのである。
そして転機は1994年に訪れる。当時、苦難に直面した化学事業部を再建し、頭角を現した井上礼之氏(現・会長)の社長就任である。
元々、人事部を中心にキャリアを重ねた井上氏は、1975年、人事部長の就任時に山田稔社長(当時)から、「城から打って出る人事部にしてほしい」という要望を受けた。受動的な動きを見せていた人事部において、能動的に現場を支える、いわば「人」に向き合う人事部を目指した経緯もあり、井上氏は「人」の大切さ、そして可能性を熟知していた。
井上氏が社長に就任した当時、ダイキンは17年ぶりの経常赤字に転落していた。こうした状況に対し、井上氏はまず多くの現場社員の聞き込みに徹した。50名を超えるメンバーへのヒアリングと、一部メンバーとは泊りがけで意見交換をしたという。その上で、さらなる成長市場を見据えて海外市場の調査も指示した。
これらの情報を踏まえ、井上氏は「選択と集中」を決断する。まず、多角化で生まれた産業用ロボット事業、医療機器事業、真空ポンプ事業など、本業と関係性が薄い不採算事業は撤退し、空調事業に注力することとした。
その空調事業においても、今後の成長性の観点から、海外シフトを決断した。当時、ダイキンでは業務用空調機を得意としていたものの、家庭用空調機やセントラル型空調機は決して得意ではなかった。そのため、社内外からは不得意な家庭用・セントラル型空調機に対する撤退論も根強かったが、井上氏は2つの理由で存続を決断した。
1つ目は、家庭用空調機やセントラル型空調機が技術面、ソフト・システム面からフラッグシップとして業務用空調機に寄与する効果が見られたことである。
そして、もう1つは海外市場では家庭用・セントラル型空調機の成長性が高かったことである。事業撤退だけでは縮小均衡になるが、将来への成長の種を育てるべく、集中すべき本業を家庭用・業務用・セントラル型空調機の3つと定義することを井上氏は譲らなかったのである。
【次ページ】ダイキンの凄いポイント(2):海外事業を成功に導いた「現地化と脱自前化」
関連タグ