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クルマと比べて列車は「操舵」という機構がなく、軌道を走るという制約のために操作は単純化しやすい。そのため運転士のミスを減らし労力を軽減するために自動運転が早くから開発、導入されてきた。その自動運転の列車が逆走事故を起こしたのは、記憶に新しい。気になるのはクルマの自動運転への影響だ。この事故で、また自動運転の実用化へのハードルは上がった印象だ。しかし、果たして自動運転はクルマの最終形なのだろうか。
自動運転列車の衝撃的な逆走が思い出させたこと
この6月に発生した、横浜シーサイドラインが運行する金沢シーサイドラインの逆走事故は、安全性が高い印象だった自動運転列車においても事故は起こり得るものであり、その被害は決して小さいものではないことを思い出させることになった。
日を経ずして、同じ神奈川県で今度は横浜市営地下鉄ブルーラインの脱線事故が発生した。通勤客が代替え輸送バスに長い行列を作った光景により、いかに鉄道が大量輸送を担っているかを再認識させられた人も多いのではないだろうか。
日本にとって鉄道は「安全かつ効率の良い交通手段」というイメージが強いのだが、それでも設備の老朽化など一定のリスクで事故は起こり得る。しかも金沢シーサイドラインは自動運転の列車が事故を、それも逆走という信じられないような事故を起こしたのだから、世間に与える衝撃は大きかった。
列車においてATO(自動列車運転装置)による無人運転の歴史は古く、1960年代から実証実験を重ね、80年代からは通常の営業運転に利用されてきた。つまり改良を重ねながらではあるが、ATOはすでにかなりの実績がある。
それと比べると、クルマの自動運転は本格的な実証実験が始まったばかりである。生まれたてのような自動運転車は、ATOのように事故を起こしたりしないだろうか、と不安になる人もいるだろう。
電車の自動運転とクルマの自動運転では、システムがまったく違うので単純な比較はできない、という意見もある。たしかに電車はホームの定められた位置に止まり、乗客の乗降に合わせて扉を開閉するだけなので、システムとしてはずっと単純だ。だが、単純だから実現も早く、シンプルで誤作動など起こりにくいはずのATOでもトラブルは起こった。
それに対して、クルマの自動運転は圧倒的に複雑で高度な制御が必要だ。高精細な地図データを必要とし、それと実際にさまざまなセンサーで測定したデータを照らし合わせながら、その上に進路方向に障害物がないか、常に確認しながら策定されたルートを走行していくのである。
公共交通機関とパーソナルユースに対するユーザーの期待値の違い
公共交通機関だからこそ、代替え交通機関などを用意すれば渋々ではあっても利用者は従うし、莫大な損害賠償なども請求することはない。これがタクシーやライドシェア、カーシェアなど「パーソナルユース」であれば、利用できないとなった場合、損失利益の損害賠償を請求するユーザーが続出するといったトラブルのリスクは格段に高まる。
自動運転は、BRT(バス高速輸送システム)など専用レーンを整備して不特定多数の乗客にサービスを提供するような使い方に向いており、実現するのも早いだろう。BRTの自動運転はATOより技術レベルははるかに高いものの、外的要因が複雑に絡み合うリスクが少ないため、実用化への道筋もつけやすい。
個人の乗用車を自動運転にするのは、技術面での課題はもはや少ないのかもしれないが、「トラブル時のリスクを誰が負うのか」という課題は大きなハードルとなる。
現時点での見解では、自動運転中の交通事故の責任も基本的にはドライバーが負うことになっている。金銭的な賠償は自動車保険がカバーするだろうが、事故の第一当事者となったら、場合によっては懲役刑を科せられることになる。「自分より運転が上手い自動運転ならば、事故を起こしても責任を甘んじて受け入れるか」と尋ねた場合、拒否するオーナーも少なくないだろう。
やはり公共機関とパーソナルユースでは、自動運転に対する期待値が異なる。公共機関は価格と公共性から、「ある程度の我慢を強いられるのは仕方ない」という暗黙の了解がある。
これに対し、クルマを購入、あるいはシェアリングで利用するユーザーは、代価をより多く払うこともあって、サービスのハードルは上がるだろう。
したがって、パーソナルユースでの自動運転は、レベル3以上へはなかなか進みにくいというのが筆者の予想だ。
なぜなら、運転は直接しなくても常に監視していなければ責任を問われるという環境に、富裕層が代価を払うと思えないからだ。そんな中途半端な緊張状況ではなく、リラックスした室内環境で自動的に移動できるからこそ、パーソナルカーの自動運転には価値があるはずだ。
おととしの暮れに起こったUberの死亡事故を思い出してほしい。ビッグデータを得るために走行実験を繰り返していた最中で起こった人身事故は、乗車中のオペレーターが進行方向の外部を見ていなかったために衝突を回避できなかったことが明らかになっている。このことから分かるように、仕事として自動運転の開発を請け負っていても、常に自動運転の走行を監視することなど不可能なのだ。
自動運転は誰のための技術なのか、ここで立ち止まって考えてみる必要がある。
【次ページ】クルマの自動運転はどう進化していくべきか
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