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- 2018/11/22 掲載
京都駅周辺の再開発、「忘れられた街」はどう生まれ変わるのか
期間限定の屋台村が観光客やサラリーマンに人気
JR京都駅の烏丸口を出て塩小路通を東へ5分、商業ビルが建ち並ぶ一角を抜けると、屋台村の灯りが見える。京都芸大の移転予定地に設けられた崇仁新町で、夜になると京都駅の方向から勤め帰りのサラリーマン、OLや大学生、外国人観光客らが集まってくる。崇仁新町がオープンしたのは2月。京都芸大の建設工事が始まるまで2年半の期間限定の屋台村で、16店が約1,000平方メートルの敷地に並べたコンテナで営業している。コロッケや串カツなど定番メニューに加え、お好み焼きとたこ焼きの元祖ともいわれる崇仁地区のソウルフード「ちょぼ焼き」も人気の逸品だ。
京都芸大と地域をつなぐことを狙ったアートイベントも定期的に開かれ、月当たりの来店客はざっと2万5,000人に達する。来店客の内訳は外国人観光客が4割、京都市民と国内の他地域から来た観光客、ビジネスマンが3割ずつだという。
地元自治会の役員や大学教授らでつくる運営組織の渉成楽市洛座から管理委託を受けたwalksの小久保寧社長は「非常に多くの人が足を運んでくれている。若い事業者を集めたのが良かったのかもしれない」と笑顔を見せた。
人口減少と高齢化のダブルパンチが深刻
1996年から地元まちづくり組織と京都市が協働し、域内を流れる高瀬川の流路を変更するなど、生活環境の改善にも力を注いできた。
その結果、鉄筋の改良住宅が点在する街並みに変わったものの、改良住宅用地の買収難航などから空き地が多く、空き家となった古い木造住宅もあちこちに残っている。京都駅が外国人観光客で大混雑しているだけに、まるで忘れられた街のように見える。
人口は戦後すぐに6,000人を数え、1万人近くに達したこともあった。しかし、改良事業の停滞で地区外へ移転せざるを得ない世帯があり、2015年には約1,400人まで減少した。主に流出したのが若い世代だったことから、住民の高齢化も深刻だ。
地元自治会である崇仁自治連合会の菱田不二三会長は「防災訓練をしたら、杖を突いた高齢者が指揮し、住民の多くがおぼつかない足元で従っている状態。この状況を打開しなければ地域の未来はない」という。
京都駅周辺はもともと、京都市の中心部ではない。しかし、京都駅が玄関口として発展するのに伴い、経済界などから京都駅のすぐ近くに空白地帯が存在することに「もったいない」という声が上がっていた。
【次ページ】京都芸大が2023年度に西京区から移転
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