- 会員限定
- 2014/10/07 掲載
弁護士業界の革命児・元榮 太一郎氏はなぜ弁護士ドットコムを発想できたのか?
弁護士ドットコム社長 元榮 太一郎(もとえ たいちろう)氏インタビュー(前編)
-
|タグをもっとみる
元榮氏にとっての「弁護士」とは?
元榮 太一郎氏(以下、元榮氏)■高校生の頃、大学受験の学部選定のときに、自由や自分らしさを好む性格から、「おそらく会社員にはなれないな」と考えたことが最初のきっかけです。それまでの人生をのびのびと生きてきたもので……。生まれはアメリカで、中学の頃はドイツで過ごして、まだ両親が向こうにいるにも関わらず高校1年生で単身、日本に戻ってきて一人暮らしをして、という。
そういう生い立ちもあって、自由業が向いているだろうなと思いました。ただ、恥ずかしながら血が苦手で採血をすると倒れるタイプなので、医者は無理だなと(笑)。ちょうどその頃、高嶋政伸さんが主演の『都会の森』というドラマをやっていまして、若手の熱血弁護士がいろんな逆境を解決していくというその生き様に、「弁護士はカッコいい職業だな」と思いました。その印象がきっかけで大学では法学部に進むことを決意しましたが、この時点ではまだ、「弁護士」というのは抽象的な目標でしたね。
──抽象的な目標が具体的になったのは、何か決定的なきっかけがあったのでしょうか?
元榮氏■決定的に弁護士を目指そうと思ったのは、大学2年生のときです。車を買ったのですが、任意保険に入るかどうか躊躇していたところ、購入後わずか2週間で事故を起こしてしまったのです。
ごくごく普通のサラリーマン家庭なのですが、住んでいた神奈川県藤沢市が車社会だったため、無理をして中古車をアルバイトの分割払いで購入し、しかしさらに出費がふくらむ任意保険に入るのは躊躇してしまった、そんな折の事故……という感じでした。相手はある信用金庫の副支店長を乗せた社用車。私が縦列駐車で車道に出ようとしたところ、私の車の右バンパーと相手の車の前方・後方ドアがぶつかってしまったのです。
当時、法学部生とはいえ法律の勉強はまだまだで、当然ながら交通事故の実務はまったく知らなかったのですが、常識的に考えて「自分の方が悪いな」と思いました。しかも、こちらは任意保険に入っておらず、一方で相手は当然入っている。そして、保険会社の示談交渉担当でベテランが出てくる。弱冠二十歳の私が交渉できる状況ではありませんでした。過失割合も、向こうはもう「100:0だ」と。
──それは、なかなか大変な経験ですね……。
交通事故というのは日常的に起こる出来事だから、パターンが類型化されているんだと、そのときに初めて教わりました。そして、そのアドバイスを相手の示談交渉担当におそるおそる伝えたところ、あっさり70対30で解決したのです。
「こんなに人が困っているときに力になれる弁護士の仕事ってすごいな」と感動しました。人の助けになれる弁護士という仕事を一生の仕事にしたい。絶対に弁護士になるぞ、と確信しまして、司法試験を志し始めたのです。
ただ一方で、母親のアドバイスがなければ「弁護士の先生にアドバイスをいただこう」という発想自体がありませんでした。交通事故を起こす人は世の中にたくさんいるのに、弁護士という職業がどういうときに役に立てるのか、役に立てることがわかったとして、どこにいけば相談できるのか、費用はいくらかかるのか──分からないことばかりでした。「弁護士がもっと身近な存在になれば良いのにな」とも、そのとき感じたのです。
──それが、元榮さんが弁護士になり、そして弁護士ドットコムを作られる原体験になったのですね。
新興上場企業による買収劇を手がけたことで「事業家」という生き方を知る
──司法試験に合格して弁護士になり、独立して起業する……ということは、最初から決めていたことだったのですか?元榮氏■いえ、当初は独立志向はまったくなかったのです。そもそも、当時は法学部に弁護士実務家教員はほとんどおらず、司法試験の合格率も2%。合格した後の具体的なイメージを持てないのです。ドラマや映画の弁護士さんのイメージを理想に持ちつつも、「どういう弁護士になるかは、司法試験に受かってから考えれば良い」という感じですね。その後のいわゆる司法制度改革で、今はロースクールが法曹養成機関と位置づけられており、現役弁護士が実務家教員として実務を教えたりしていますから、ある程度状況は変わっていると思うのですが。
当時は、司法試験に合格した後で、突然ぱぁっと、弁護士の具体的なイメージが飛び込んでくるのです。その中の一つがビジネスロイヤー、国際弁護士と言われるような仕事でした。私はアメリカで生まれてドイツで育ったのですが、アメリカは4歳で帰って来ましたし、ドイツでは日本人学校に通っていたため、英語はネイティブではなかったのです。ルーツがアメリカにあることもあって、「いつか英語を使って仕事をしたい」という思いもあったのです。ビジネスロイヤーなら、留学もできるし、外資系の企業を相手に英語を使ったコミュニケーションもできるし、新聞を飾るようなスケールの大きい案件にも携われる。ダイナミズムを感じました。
──元榮さんは、弁護士になられた後、最初はアンダーソン・毛利・友常法律事務所……いわゆる「四大法律事務所」の1つであり、企業法務を中心とするエリート事務所に所属されていたのですよね。当時はどのようなお仕事が中心だったのですか?
元榮氏■M&Aや、不動産の流動化というファイナンス分野や、国際取引の分野です。大企業法務のみでした。本当に、当時は独立なんて一切考えていなかったのです。アメリカでニューヨーク州弁護士の資格を取ってアンダーソン・毛利・友常法律事務所に戻り、パートナー(事務所の共同経営者)を目指す、というのが当時の目標でした。
ただ、弁護士ドットコムを作るに至る1つのきっかけが、アンダーソン・毛利・友常法律事務所で手がけた、新興上場企業による証券会社の買収の案件でした。その上場企業が数百億円を資金調達して次々と企業買収を行っていた時期です。ビジョンを実現するために果敢に事業展開を進める新興企業の勢いを、そのときに初めて目の当たりにしたのです。30歳を目前にして、一度きりの人生だから、「事業家」という生き方も面白いんじゃないかと感じました。
アンダーソン・毛利・友常法律事務所には、入所4年~5年目前後に留学に行くというシステムがあるのです。その留学のタイミングが近づいていたため、この機会に、アメリカのロースクールに行くのではなく、MBAを取得するのも良いのではないか……などと考えました。経営者の方が書かれた本などを読みふけりましたね。孫正義さんの「時代は追ってはならない。読んで、仕掛けて、待たねばならない」という格言にも影響を受けました。そうしているうちに、2004年に弁護士ドットコムを思いついた、という経緯です。
【次ページ】 元榮さんが弁護士ドットコムを発想したきっかけとは?
関連コンテンツ
関連コンテンツ
PR
PR
PR
今すぐビジネス+IT会員にご登録ください。
すべて無料!今日から使える、仕事に役立つ情報満載!
-
ここでしか見られない
2万本超のオリジナル記事・動画・資料が見放題!
-
完全無料
登録料・月額料なし、完全無料で使い放題!
-
トレンドを聞いて学ぶ
年間1000本超の厳選セミナーに参加し放題!
-
興味関心のみ厳選
トピック(タグ)をフォローして自動収集!
投稿したコメントを
削除しますか?
あなたの投稿コメント編集
通報
報告が完了しました
必要な会員情報が不足しています。
必要な会員情報をすべてご登録いただくまでは、以下のサービスがご利用いただけません。
-
記事閲覧数の制限なし
-
[お気に入り]ボタンでの記事取り置き
-
タグフォロー
-
おすすめコンテンツの表示
詳細情報を入力して
会員限定機能を使いこなしましょう!
「」さんのブロックを解除しますか?
ブロックを解除するとお互いにフォローすることができるようになります。
ブロック
さんはあなたをフォローしたりあなたのコメントにいいねできなくなります。また、さんからの通知は表示されなくなります。
さんをブロックしますか?
ブロック
ブロックが完了しました
ブロック解除
ブロック解除が完了しました