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グーグルは、ラリー・ペイジ氏とサーゲイ・ブリン氏の手によって1998年9月に設立されました。テックジャイアント「GAFAM」の一角として、世界における同社の存在感と影響力は圧倒的です。今回はラリー・ペイジ氏の半生を中心に、グーグルが20年余りで世界的企業になれた理由を探ります。今では想像できませんが、創業間もない頃のペイジ氏とブリン氏にはお金を稼ぐアイデアはありませんでした。事業計画もない彼らに、アマゾンの創業者であるジェフ・ベゾス氏を始め、大手のベンチャーキャピタルなど名立たる面々が出資を決めた理由に、ビジネスの本質とも言える大切なものが見えました。
6歳からコンピュータに親しんだ天才少年
ラリー・ペイジ氏は1973年、ミシガン州で父カール・ヴィクター・ペイジ、母グロリアの次男として生まれています。父親は1960年にミシガン大学からコンピューターサイエンスの学位を受けた最初の学生の1人で、ミシガン州立大学で計算機科学の教授を務めており、母親も同じ大学でコンピュータープログラミングを教えていました。
科学者の家に生まれたペイジ氏は藤井 聡太竜王なども学んだことで知られるモンテッソーリ教育を受けて育ちました。6歳の頃には早くもコンピュータに触り始めていたようで、こう振り返っています。
「父がコンピューターサイエンスの教授だったのは、本当にラッキーだった。そんな父さんのいる子どもなんて、僕と同じ世代にはほとんどいなかったからね。僕はどんな時でもコンピューターが好きだった。コンピューターがあればいろんなことができるって思っていたからだ」(『Google誕生』p41)
9歳年上の兄(メーリングリストサービスのeGroups設立者)の影響もあり、コンピュータをいじるのが好きだったペイジ氏は、父と兄にならってミシガン大学に入学してコンピューターエンジニアリングを学びます。ミシガン大学の教授たちによると、ペイジ氏は「本当にずば抜けていた。1人抜きんでていた」(『Google誕生』p43)存在だったようです。
のちの共同創業者となる「数学の天才」との出会い
1995年、スタンフォード大学大学院に進んだペイジ氏は、年下ながらスタンフォードでは2年先輩にあたる「数学の天才」サーゲイ・ブリン氏と意気投合し、一緒に過ごし、一緒に研究もするようになります。
当時のスタンフォード大学には起業家精神をかき立てる雰囲気が満ちていましたが、共に大学教授の息子であるペイジ氏とブリン氏にとっては、大切なのは起業することでも、金持ちになることでもなく、博士号を取得することが最優先でした。
インターネット急成長期、検索にはもっといい方法があるはず
ペイジ氏が大学院で取り組んだのは、急速に成長していたインターネットの世界で、巨大なデータの山から必要な情報を抽出する方法でした。当時も検索エンジンはいくつもありましたが、スタンフォード大学のラジーヴ・モトワーニ教授によると、当時の検索エンジンは「不備だらけで、まるで意味のない検索結果がやたらたくさん出てくるだけ」(『Google誕生』p59)でした。
インターネットを検索するには、ほかのもっといい方法が必要だと考えていたペイジ氏はある時、「科学文献にたくさん引用される論文ほど重要である」という考え方をインターネットの世界に持ち込むことを思いつきます。こう振り返っています。
「ある時、突然夢から飛び起きたんだ。その時頭にあったのは『ウェブ全体をダウンロードして、リンクの記録を取ったらどうだろう』という考えだ。すぐにペンをつかんで、アイデアを書き留めたよ」(『グーグル秘録』p59)
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