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- 2021/12/16 掲載
なぜザッカーバーグは「世界一」になれた? 大学生がSNSの常識を覆せた“シンプルな理由”
連載:企業立志伝
小6でプログラミング、中学でゲーム制作、高校で音楽サイト立ち上げ
マーク・ザッカーバーグ氏は1984年、米国のニューヨークに生まれています。父親は歯科医、母親は精神科医という裕福な家庭に育ったザッカーバーグ氏は小学校6年生の時にパソコンを買ってもらい、プログラミングを始めています。中学生になり、同級生が「ゲームで遊ぶ」のに対し、「ゲームをつくる」ようになったザッカーバーグ氏は、ローマ帝国時代の対戦ゲームなどをつくっています。父親のエドワード氏によると、「意志の強い子ども」で「NOと言うと、なぜ?と問いただされ、説得に骨が折れた」(『世界を征するソーシャルプラットフォーム』p43)と振り返っています。
エクセター高校時代には友人と音楽配信サイトの「シナプス」を立ち上げます。このアイデアにはAOLやマイクロソフトなどから100万ドルで買収したいというオファーがあったと言われていますが、ザッカーバーグ氏はこう考えて断っています。
「僕たちにその気はなかった。本当はシナプスじゃなく、僕たちをスカウトして働かせることがああした会社の狙いだった」(『史上最速の仕事術』p146)
フェイスブックを立ち上げてからも、マイクロソフトからの「150億ドルで買いたい」という提案を初め、数多くの買収提案が寄せられていますが、ザッカーバーグ氏はことごとく拒否しています。ザッカーバーグ氏と交渉したマイクロソフトのスティーブ・バルマー氏は、「あの男は商売人じゃない」(『若き天才の野望』p352)と語っています。
猛スピードでサービスを生み出す天才ハッカー
2002年、ハーバード大学に入学したザッカーバーグ氏は、半年足らずの間に講義情報ソフトの「コース・マッチ」や美人投票ソフトの「フェイスマッシュ」といったサイトを立ち上げます。いずれも学生たちの人気を博しますが、「フェイスマッシュ」の作成にあたり、大学のサーバに勝手に侵入して学生の写真を盗み出したことや、女子学生の名誉を毀損(きそん)したとして猛烈な抗議を受けたことで謹慎処分も受けています。
「天才ハッカー」として有名になったザッカーバーグ氏はこの時期、のちに裁判で争うことになるウィンクルヴォス兄弟の仕事を手伝ったり、自分でも次々と小さなサービスをつくり上げています。1年で12個のプロジェクトを完成させていた当時をこう振り返っています。
「そういったプロジェクトの大部分は、人々がどうつながっていくかを実験するようなものだった」(『若き天才の野望』p25)
SNSの草分けといえる「Friendster」の会員であったザッカーバーグ氏は、やがてソーシャルネットワークに関心を持つようになります。当時、ハーバード大学は全部の寮の名簿(通称フェイスブック)を集めてデジタル化すると約束していましたが、プライバシーへの懸念から一向に進んでいませんでした。
「それならユーザー自身に自分の情報をアップロードさせればいい」と考えたザッカーバーグ氏は、ハーバード大学の学生だけが利用できる「The facebook」をわずか1週間で立ち上げ、公開しています。2004年2月4日のことです。ここからの成長スピードは目を見張るものがあります。
【次ページ】開始1カ月で会員1万人突破、なぜ全米の大学を席巻できた?
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