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アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス氏は、自らの会社「ブルーオリジン」が開発した有人宇宙船「ニューシェパード」に搭乗し、2021年7月20日に“11分間の宇宙への旅”に挑戦することを発表しました。イーロン・マスク氏をはじめ、宇宙事業に多額の資金を投じてきた起業家は多いですが、自らが搭乗者となり宇宙へ行くのはべゾス氏が初めてです。同氏は出発の15日前にアマゾンのCEОを退任(会長に就任)、リスクをほんの少し軽減したうえで挑戦します。「宇宙」という夢の根源、その夢の実現に大きな役割を果たしたアマゾン創業──同氏の歩みをたどると、一貫した失敗論が見えてきました。
ベゾス氏にとっての父親
ジェフ・ベゾス氏は1964年にニューメキシコ州アルバカーキで、ジェフリー・プレストン・ヨルゲンセンとして誕生しています。母親のジャッキー・ギーゼ・ヨルゲンセン氏は、ベゾス氏の実の父親であるテッド・ヨルゲンセン氏とはべゾス氏の誕生後すぐに別れ、のちに正式に離婚しています。
その後、ジャッキー氏は銀行で働いている時にミゲル・マイク・ベゾス氏と出会い、1968年に結婚。ベゾス氏は正式にマイク氏の養子となっています。今回、一緒に宇宙船に同乗する弟のマーク・ベゾス氏はその後生まれています。10歳の時に自身が養子であることを知らされたべゾス氏は、父親についてこう話しています。
「私にとっては、今の父マイク・ベゾスが実の父親なんです。医者に言われて書類を書く(血のつながった家族の病歴を記入する)時しか、そんなこと考えもしません」(『アマゾン・ドット・コム』p23)
発明好き少年の夢は「宇宙飛行士」か「物理学者」
モンテッソーリ教育で育ったべゾス氏は、「いつもガレージで何かやっている」ような発明好きの少年でした。そんなべゾス氏に強い影響を与えたのが、祖父のプレストン・ガイス氏です。ガイス氏は国防高等研究計画局(DARPA)経て原子力委員会の地域マネジャーも務めた後、テキサス州のレイジーGという大牧場で暮らしていました。べゾス氏は4歳から16歳までの間、夏休み期間をこの牧場で過ごしています。
べゾス氏は祖父から風車の修理やパイプの埋設、牛の去勢といったあらゆることを教えられています。ここでの経験を通して、べゾス氏は「科学を愛する心」を育むとともに「解決策のない問題なんてない」(『アマゾンをつくったジェフ・ベゾス』p15)ということを学んでいます。
学校の成績は抜群でした。父親の転勤に伴いマイアミのパルメット高校に入学したべゾス氏は、680人中トップの成績で卒業しただけでなく、科学最優秀生徒賞を3年連続で受賞したほか、「イエバエの老化への無重力の影響」という論文で、NASAのマーシャル宇宙飛行センターへの見学旅行の一員にも選ばれています。当時のべゾス氏の夢は「宇宙飛行士」か「物理学者」になることでした。
夢を叶えるための起業、起業のために選んだ道
べゾス氏は高校時代から、将来は「商用宇宙ステーションをつくること」と「人類の宇宙への移住」を明言していました。1982年、名門プリンストン大学に入学。当初は理論物理学の道に進むことも考えていましたが、「クラスには僕よりもずっと優れた学生が3人いることがはっきりしていた」(『アマゾン・ドット・コム』p32)ため、進路を電子工学とコンピュータ・サイエンスに変更し、ここでも首席で卒業しています。
宇宙へ行く夢を叶えるためにも、早くから自分の会社を興すことを夢見ていたベゾス氏ですが、その前にビジネスの仕組みを学ぶことが必要だと考えます。そこで、「プリンストンで最も優秀なコンピュータ・サイエンス専攻の卒業生」を求めていたニューヨークにあるスタートアップ企業ファイテルに11人目の社員として入社します。ベル研究所やインテルなど大手の名門企業の内定を蹴っての入社でした。
同社で世界中の投資家や金融機関をつなぐグローバル・ネットワークの構築を担ったベゾス氏は、1988年、バンカーズ・トラスト社に転職。プログラミング部門のリーダーを経て26歳で副社長に昇進しています。
1990年、べゾス氏は「完璧に開発された左脳と、やはり完璧に開発された右脳を持った人物の1人」(『アマゾンをつくったジェフ・ベゾス』p25)と評するデイビッド・ショー氏が創設したD・E・ショーに副社長として採用されます。のちに結婚、離婚したマッケンジー・タトル氏とは同社で出会っています。
そしてもう1つの出会いが、発展途上にあったインターネットであり、その出会いがべゾス氏の運命を決めることになったのです。
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