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このところ日本経済の地位低下に関する話題を耳にする機会が増えてきた。日本経済の低迷は90年代から始まっており、最も大きな要因は製造業の輸出競争力が低下したことである。このままでは日本の衰退がさらに進む可能性が高く、弱体化した製造業を復活させるのか、国内市場を活用して消費主導で成長する道を探るのか、決断を迫られている。多くの人が望んでいる製造業復活は可能なのか、今でも製造業大国としての地位を維持しているドイツを例に考察する。
ドイツは昔も今も製造業大国
戦後、日本企業は輸出シェアを拡大し、1980年代には8%とドイツと拮抗する水準にまで上昇した。ところが90年代以降、日本は一貫してシェアを低下させており、今では4%程度の水準しかない。日本は工場の海外移転を行ったのでシェアが下がったという反論も聞こえてくるが、それは正しい認識とは言えない。かつて日本のライバルであったドイツは海外移転を行っておらず、現在でも8%のシェアを維持しており、製造業大国として君臨している。
ドイツが海外移転を行う必要がなかったのは、付加価値の高い製品へのシフトに成功し、コスト対策で海外に工場を移す必要がなかったからである。日本が海外移転したので見かけ上、シェアが下がったのではなく(現地法人からの出荷は輸出にはならない)、日本製品の競争力が低下し、韓国や中国と価格競争に巻き込まれた結果、海外移転せざるを得なくなったというのが真実である。
ドイツの製造業は、EU(欧州連合)と単一通貨ユーロの存在に支えられており、本当の実力ではないという意見もあるが、この指摘は事実ではない。
輸出産業にとって、為替リスクを気にする必要がないことや、自由貿易圏に拠点を持っていることがメリットになるのはその通りである。しかし、ドイツ(あるいは日本)のような巨大な工業国は、近隣の経済圏だけに輸出しているわけではなく、北米やアジアなど全世界に輸出を行っている。ドイツ企業にとって、欧州の通関が容易だからといって、それだけで全体の業績が大幅に拡大することはあり得ない。
為替についても同様である。日本は1985年のプラザ合意以降、猛烈な円高に見舞われたが、輸出額が減ったのは翌年だけで、その後は順調に輸出額を増やしている。しかも貿易黒字に至ってはプラザ合意をきっかけにむしろ増大した。通貨が高くなることは輸入には有利に働く。製造業は原材料や部品などを輸入しているので、製品の競争力さえあれば、通貨高をむしろ利益拡大のチャンスにすることもできるのだ。
ドイツは儲からない分野はすべて捨てた
日本の製造業がダメになったのは、製品競争力に原因があり、もし製造業の復活を望むのであれば、ドイツと同レベルの競争力を獲得することが必須要件となる。ではドイツは、なぜ高い競争力を維持しているのだろうか。その理由は国家をあげた産業シフトにある。
ドイツも日本と同様、韓国企業や中国企業の追撃を受け、90年代に競争力低下という問題に直面した。日本企業は現状のビジネスモデル維持を選択し、価格を引き下げることで中韓に対抗する戦略を採用した(採用したというよりも決断ができず、中韓とコスト競争せざるを得なくなったというのが現実である)。一方、ドイツ企業は、付加価値が低下した分野は躊躇なく捨て去り、付加価値の高い分野にシフトするというビジネスモデルの転換を行った。
かつては、ドイツ製のカメラと言えば誰もが憧れる時代があった。音響機器や造船などの分野でもドイツは高い競争力を持っていたが、ドイツはこうした分野の多くから撤退している。日本企業が光学機器や造船にこだわり続け、スマホの台頭や韓国メーカーの低価格攻勢で厳しい経営を余儀なくされたのとは対照的と言って良いだろう。
ドイツの賢いところは、単純に撤退するのではなく、高付加価値にシフトできる分野をうまく見つけ出したことだろう。たとえば、船舶の建造については日本や韓国など後発国に譲ったが、動力となるディーゼル機関については、設計ライセンスを各国に提供するモデルにシフトすることで、極めて高い利益率を維持している。
船舶は世界中を航行するので、どの国で機関が故障を起こすか分からない。設計仕様が統一されており、部品の入手が容易であることのメリットは大きく、ドイツ企業はこの分野で圧倒的なデファクトスタンダードを握っている。
新しい分野としては、医療器機、バイオなどを開拓し、重電の分野ではITとの連携を強め、遠隔で保守を行うなど製造業のサービス業化を進めてきた。ちなみにドイツにはSAPという世界を代表するIT企業があり、ビジネスのデジタル化を後押ししている。
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