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中国は今、あらゆる産業分野でのAI活用に力を入れています。ボストンコンサルティンググループ(BCG)の「企業の人工知能(AI)の導入状況に関する各国調査」において、中国はアクティブプレーヤーの割合が世界トップレベルであることが示されました。それに対し、日本は全体的に低調で、特に医療(ヘルスケア)においては大きく水をあけられています。医療へのAI導入に関しては他国も進んでいるとは言えず、中国が突出しているのは明らかです。これには、いくつかの中国特有の事情があります。
投資を支える強い需要の存在、格差の大きな医療
中国は今でこそ世界第2位の名目GDPを誇りますが、日本のGDPを超えたのはわずか10年前のこと。20年前には日本の4分の1のGDPしかありませんでした。中国がいかに急速に経済成長を遂げたのかが分かります。
しかし、この経済発展は都市部に集中しており、地方の農村部は十分に発展の恩恵を受けているとは言い難い状況です。中国の都市部における病院の数や質は先進国と同等の水準に達しているのに対し、農村部は医師も病院も足りていません。
さらに、医療保障制度も都市部住民と農村部住民で別々のものが存在しています。都市に住む人間と地方の農村部に住む人で、受けられる医療サービスに名実ともに大きな格差が生じているのです。
また、農村部の医療は郷村医と呼ばれる医療従事者によって支えられています。郷村医は日本で言えば「町医者」や「かかりつけ医」のような役割を果たす医師ですが、広大な土地と人口をカバーする郷村医すべてに十分な教育を施すことはできず、大学を出ていない郷村医も少なくありません。
そんな郷村医ですら足りていないのが中国農村部の医療です。日本なら病院に行けばすぐに治るような軽い病気でも命に関わることがあるとされており、都市部は先進国でも、農村部は途上国というのが中国の医療です。
こうした大きな医療格差は医療のICT化を推進する大きな動機になりました。たとえば、中国農村部の小さな医院では診断できないような病気でも、都市部の大病院なら診断が付くというケースが多々あります。そのため、オンライン医療に関する環境整備は日本よりも非常に早い段階で進められました。すでにインターネット経由で診療・処方が受けられるネット病院の利用が広がっており、オンライン医療の市場規模は米国に並びつつあります。
医療へのニーズが医療用AI活用の動機に
日本でも町医者では対応できない症例はありますが、優れた医療保障制度に加え、地方のクリニックでも高度な医療機材が用意されているため、町医者でも相応の診療が受けられます。
オンライン医療の仕組みそのものは存在しているものの、どちらかといえば離島や来院できない高齢者のためのものという認識が強く、あまり利用は広がっていませんでした。医療のICT化の技術的ハードルは高くなかったにも関わらず、既存のシステムを変えるほどのニーズがそもそもなかったのです。
このニーズの差が、医療用AIについても現れます。たとえば、診断AIでは通常、その診断精度が導入にあたっての大きなハードルになります。日本では十分な精度がなくて使えないと判断されるようなAIであっても、農村部の医療水準を鑑みれば導入する価値があると判断されることはあるでしょう。
必要最低限の医療知識はあっても、まれな疾患や専門性の高い疾患については詳しくない郷村医にとって、精度が低くてもそうした疾患を候補として提示してくれる診断AIは十分に有用なのです。
すでにテンセントのWeDoctorが開発した診断AIなどは農村部の医療で使われるようになっています。郷村医が診断AIを利用し、そのフィードバックを収集することができれば、AIの開発を大きく前に進めることができるようになるでしょう。需要の存在こそが、AI開発における大きな強みになります。
収集の容易な医療データ
中国においては、個人情報を保護する制度が不十分であり、企業や政府は比較的自由に個人情報を利用することができます。少なくとも他の先進国のようにあらゆる個人情報の取得にいちいち同意を取る必要はありません。
日本を含めた先進国が個人情報の「匿名化」「利用許諾」「セキュリティ」に予算を割き、万全の体制を整えた上で病院の倫理委員会の審査を待つ間に、中国ではAIを現場に導入してデータを集める作業をしているわけです。制度の面で、中国には大きなアドバンテージがあることが分かるでしょう。
さらに、中国国内で手に入るデータは膨大です。アジア人のデータに限られているものの、データ量には困りません。そのため、先進国で中国製のAIを導入する際には「(個人情報は中国で集めるので)データは収集しない」という前提で販売ができます。
先進国がなんとかして利用者のデータを吸い上げようと躍起になる中で、中国企業は自国でなんとかなるので好きに使ってくれと安価に販売し、市場のシェアを握ってしまうことが可能なのです。
実際、中国のベンチャー企業INFERVISIONの画像診断システム「InferRead CT-Lung」は中国で広く利用されており、日米を含め先進国の病院に導入する際には個人情報を収集しないことをうたって倫理委員会や患者の懸念を払拭(ふっしょく)しています。
データ収集における優位は制度面だけではありません。前述の医療格差も大きな強みになっています。AIを利用して健康状態を診断するアプリケーションやツールは無数に存在しますが、AIを利用したツールは多かれ少なかれ個人情報を収集します。
無料で健康診断が受けられる代わりに、企業に健康情報が渡ってしまうと言われると少なからず抵抗があるでしょう。特に日本のように医療・福祉のサービスが充実し、安価に健康診断を受けられるような環境がある場合、わざわざ企業に情報を渡すような健康診断を受ける理由がありません。
しかし、健康診断を安価に受けられるような環境が整っていない場合は話は別です。中国の農村部では健康診断を安価に受けられるようなサービスがないことも多く、企業にデータが渡ってしまうとしても安価な健康診断を受ける人は少なくありません。
そもそも中国の場合は個人情報の利用に本人の同意は不要で、前述のWeDoctorも無料の健康診断を実施して全国的に健康データを集めています。こうした医療データを収集しやすい環境があることが、中国の医療用AIの開発と導入を大きく後押ししています。
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