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  • 2018/05/29 掲載

ホモフォビア(同性愛嫌悪)とは何か? LGBT対応の「本音」と「建前」

ダイバーシティ経営におけるLGBT対応

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5月17日は「LGBT嫌悪に反対する国際デー(International Day Against Homophobia, Transphobia and Biphobia)」、通称IDAHOTB(アイダホ)だった。毎年、世界中でこの日を記念してキャンペーンや集会、文化イベントなどが開催されている。さまざまな場面でダイバーシティ&インクルージョン(多様性と多様な人を受け入れること)が推進される中、「LGBT嫌悪」は言語化されないまま、ダイバーシティ&インクルージョンの足かせになっていることがある。今回は「LGBT嫌悪」の中でも「ホモフォビア(同性愛嫌悪)」を解説。この問題を職場の課題としてとらえ、乗り越える方法を考える。
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ホモフォビア(同性愛嫌悪)とは何か? ダイバーシティ施策の足かせになっていないだろうか?
(© Rawpixel.com - Fotolia)

ホモフォビア(同性愛嫌悪)とは何か

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 IDAHOTB(アイダホ)は、1990年5月17日に世界保健機関が同性愛を精神疾患のリストから外したことを記念して定められた。同性愛を病理ではなく、人が持つ特性の1つととらえなおし、人権の重要な課題として位置づけたことは、同性愛者の権利獲得運動における大きな一歩となった。

 アイダホはもともとホモフォビア(同性愛嫌悪)に抵抗するためスタートした運動だが、近年はトランスフォビア(トランスジェンダー嫌悪)とバイフォビア(バイセクシュアル嫌悪)への対抗という意味も含まれ、広くLGBT嫌悪に反対する運動となっている。
The IDAHOTB Committeeによる2018年のIDAHOTBのポスター。

 今回はホモフォビアに焦点をあてて、この課題について考えていこう。

 ホモフォビア(同性愛嫌悪)とは、ギリシア語で「同一」を意味する「homo(ホモ)」と、「恐怖症」という意味の「phobia(フォビア)」からできている。そこから全体として、「同性愛や同性愛者に対する嫌悪感や恐怖感など、否定的な感情や価値観」を意味する。

 ホモフォビアが引きおこした歴史的な悲劇として有名なものには、ナチス・ドイツにおける同性愛者の迫害と虐殺がある。ホロコーストにおける同性愛者の死者数は5000人を超えるとも推計されている。残念ながら、ホモフォビアは現在進行形のもので、いまも世界中で同性愛者をターゲットとした暴力や殺人が後をたたない。

 2016年にはアメリカ、フロリダ州オーランドにあるゲイクラブでアメリカ史上最悪の銃撃事件が起き、49人が犠牲になった。

 2017年にはロシア南部のチェチェン共和国で、数百人の男性同性愛者が当局に拘束され、少なくとも3人が死亡したと報じられている。

 日本社会ではどうかというと、殺人にいたる事件はあまり聞かない。しかし、日常の中にホモフォビアがまん延している。

 たとえば、「しぐさが女子みたいだ」と言われ学校でいじめられてしまう、「気持ち悪い」と言われ仲間はずれにされる。あるいは、ゲイやレズビアンという存在が、日常的に笑いのネタとされ、嘲笑やからかいの中に頻繁に出てくる。そんな空気の中で、多くのLGBT当事者は「言い出せない」雰囲気やプレッシャーを感じ、息をひそめるようにして生きている。

 テレビの中のホモフォビアという観点では、昨年9月にフジテレビがバラエティ番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」で、「保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」というキャラクターを約30年ぶりに復活させた。これがゲイを揶揄し差別を助長するとして抗議にあい、フジテレビ社長が謝罪する事態となった。

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 職場においても、いわゆるホモネタが一種「会話の潤滑油」として日常会話の中に潜んでいることは否めない。最近も警察官がゲイであることで上司や同僚から疎外され、結局仕事を続けられなくなった事例が報道された。

 こういう光景や状況に思い当たるふしはないだろうか? これらはホモフォビアが日常的に姿を現している代表的な例だ。

最近ネットでよく見かける「ポリコレ」の議論

 日本ではまだホモフォビアの文化が強いが、2015年に東京都渋谷区と世田谷区で同性カップルを「結婚に相当する関係」と認め、公的なパートナーシップの書類を発行する取り組みがスタートした。この動きは全国的に広がっている。ホモフォビアを乗り越えていこうとする試みが自治体、企業、教育などさまざまな分野で確実に進みつつある。

 このように、人を属性によっておとしめたり、差別したりするのはよくないことだ、という考えは社会の前提になりつつある。これまでひどい差別や偏見にあいやすかった同性愛者のことも含めて、差別をなくしていこうという変化が起きている。

 こういう空気の変化の中で、しばしばポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)をめぐる議論が起きる。具体的には、下記のような声だ。

 「また言ってはいけないことが増えてしまって、窮屈だ」 「ポリコレ(ポリティカル・コレクトネスの略)ばかりで正直疲れる」 「笑いがつまらなくなる」 「SOGIハラ(注)? またハラスメントの種類が増えたの? 発言を取り締まられるようで面倒だ」 「ポリコレ棒で殴られるようで怖い」

注:SOGIハラ(ソジハラ)。性的指向・性自認に関するハラスメント。いわゆる「ホモネタ」なども含まれる

 これらの反応に共通するのは、差別によって苦しんでいる背景についての想像力の欠如ではないだろうか。「差別をなくして誰もが安心して生きられる社会にしよう」という声を、「言葉狩りだ」と極端に矮小化し、そもそもなぜLGBTが声を上げなければいけないのか、というところまで想像が及ばないのだ。

ダイバーシティ=マジョリティ/マイノリティのパワーゲームをなくすこと

 そもそも今の時代、マジョリティ(多数派、強い立場の人間)/マイノリティ(少数派、弱い立場の人間)という線引きや意識自体にあまり意味がない。すべての人がなにかしらマイノリティ要素を持っているし、たとえ健康で日ごろ自分を「マイノリティ」と認識していない人でも、明日交通事故にあって、社会の中で人数の少ない車椅子ユーザーになるかもしれない。

 それを考えれば、「自分はマジョリティに属していて、マイノリティのことを考える必要などない」という意識は、ダイバーシティ時代のビジネスパーソンの感覚としては時代錯誤だ。

 多様性が受け入れられる職場を目指すことは、ダイバーシティの考えになじまないからといって、これまでマジョリティでいられた人を立場の弱い人(=マイノリティ)にしてしまうような話ではない。

 ダイバーシティとは、マジョリティがマイノリティを抑圧するパワーゲームを解体して、属性にかかわらず1人ひとりが尊重される社会へシフトすることだ。

 ダイバーシティ推進は、マジョリティが「マイノリティのため」に進める施策ではない。組織の風土そのものを、1人ひとりが心理的安全性を感じながら力を発揮できるように整えていくことなのだ。ホモフォビアをなくしていくことも、このベクトルの上にある。

【次ページ】日本の職場は「女性蔑視」と「ホモフォビア」でできている
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