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- 2008/06/02 掲載
【やる気を考える】モチベーションを意志力につなげる / 神戸大学大学院 金井壽宏教授(2/2)
ルビコン川を渡る
─あるいは、粘り強い夢
カエサルにとって、ルビコン川を渡るというのはどういう意味をもっていたのか。8 年にも及ぶガリア遠征の間、ポンペイウスがやりたい放題でローマは乱れていた。当時、武装した軍団を引き連れてローマに入ることは禁じられていた。この決定的場面で、カエサルはリーダーとしてフォロワーたちをどのように鼓舞したのか。国禁を破って渡るのだから、このルビコン川を渡る限りは本気で渡るしかない。そういう強い気持ち、気持ちというと軽すぎるぐらいの強い意志力を示すのが「ルビコンを渡る」ということだ。カエサルが語ったと言われる有名な「賽は投げられた」(ラテン語でAlea isactaest、アレア・イヤクタ・エスト)という言葉は、そのときに人びとを鼓舞するために叫ばれた。遠征のあと、旧体制の元老院は武装解除したうえで、ローマに戻るように命じるが、カエサルは、国禁を破って武装したままルビコン川を渡った。「渡るといったら渡る、そして、旧体制を葬る」という決断の瞬間の言葉「賽は投げられた」は、不退転の意志力の代名詞となった。
周囲に実現できないと言われるような夢をやがて信用させるためには、夢を茫漠と描くのでなく、本気で実現する強い意志や使命感をもって夢を描き、行動と態度でいかに本気であるかを示すことが不可欠だ。ワタミフードサービス株式会社の渡辺美樹社長が常々、夢は日付付きの夢(dated dream)でなければならないと主張しているが、それと似ている。Date your dream、夢に日付を入れるということは、必ずその日までに実現するということであり、その日に実現しなかったらただあきらめるのでなく、現実と照らし合わせて夢をまた本気で真剣に練り直すことだ。そういう練り直しの瞬間のことを、夢の現実吟味(realitytesting of a dream)とよぶ。現実と照らし合わせて実現させると決めた夢だけが実現するものだ。
「中学生に夢や志が簡単に見つけられるわけがない」という人もいるが、他方で、(特別な例だと言われるかもしれないが)イチローや野茂が小学校の作文で「野球選手になる」と書いたのは、「本気の夢しか実現しない」というリアリズムを伴った夢だ。
ルビコン川を渡ったという本人の本気度とあわせて、小学校、中学のころなら、親や先生がどう思うかも鍵だ。本人の意志、本気度が高いから、まわりの応援団も徐々に生まれてくる。子どもの時から粘り強い夢をもって、物心つくころにはけっしてあきらめない意志力をもって、その夢に邁進していく。大人になったらそういう夢がないというのでは情けないことだ。
こういう人生の夢に近いものを射程にいれると、モチベーションだけでは説明できないところがある。時間幅からしても、たとえば、特定の試合を念頭にやる気を自己調整して、そのときにベストの状態にもっていき、試合中、集中を維持するというより世界よりも、粘り強い夢の話は、もっと長い期間にかかわっている。モチベーションとキャリアが交差する概念のひとつが、息の長い意志力であり、粘り強く追求する長期的な夢だ。長くかかっても途中であきらめたり逃げたりせず、やりきることだ。
アクティブ・ノンアクション
ハイケ・ブルックとの共著『意志力革命』(ランダムハウス講談社、2005 年)で、スマントラ・ゴシャールは、もうひとつ興味ある考えを提示した。それは、active nonactionという言葉だ。忙しく立ち回っているようで、空回りしていて何も意味ある行為にはなっていない状態をいう。やる気が高くても、空回りしていてはどうしようもない。これも、モチベーション論だけでは捉えられない世界を照射している。
これに対峙される言葉は、purposeful action(目的意識を伴う行動)で、こちらは、エネルギーも満ちあふれているし、同時に集中力も高い状態を指す。勉強の世界でも仕事の世界でも「よくできる人」にとっての落とし穴は、エネルギーはたくさんあるが集中力がなく、忙しさのなかで空元気に終わってしまう状態に陥ることだ。エネルギー水準は高いが集中力が低いタイプを、ブルックとゴシャールはThe Frenzied(邦訳では「一生懸命タイプ」)とよんだ。ルビコンを渡ると言って旗振りをするだけで、その意味がわかっていない人だ。「一生懸命タイプ」だと語感が良すぎるので、「空回りタイプ」「取り憑かれたタイプ」はては「狂暴タイプ」とよんでもいいだろう。
辞書を引くとわかるとおり、frenzied、frenzy という言葉には、熱狂、興奮という高エネルギー状態を指すと同時に、逆上、乱心、激怒、狂乱、狂暴という意味合いがある。本人は元気だが、その元気が周りには迷惑で疲弊させ、自身にも深い内省がない。どきっとするのは、そういう人が「よくできる人」のなかに多いという点だ。スマントラたちの調査によれば、このタイプがマネジャー層では実に4 割もいたそうだ。
アクティブ・ノンアクションという言葉に当たる考えを最初に示したのは、ローマ帝政の初期を生きたセネカだった。「怠惰な多忙」という言葉が『人生の短さについて』(他2編の作品とともに、岩波文庫、1980年、34 頁)に出てくる。セネカは述べる。「いつあなたは自分の計画に自信をもったか。自分が決めたように運んだ日はいかに少なかったか。いつ自分を自由に使うことができたか。いつ顔付きが平然として動じなかったか。いつ心が泰然自若としていたか。あなたがこんな長い生涯の間に行った仕事は一体なんであるか。」
セネカの語る「怠惰な多忙」、ゴシャールの注目する「アクティブ・ノンアクション」の意味はもう自明だろう。現在を忙しくは生きているが、今やっていることの意味を探すような来し方の内省はせずに、過ぎ去る今日を、集中力なく意志力にも支えられずに、気が散るままに空元気で生きるのは、よしたほうがいいということだ。
ここから、2 つの指針が生まれる。ひとつは、活動が過ぎる度に内省して、後付け、後知恵でもいいから、意味づけることだ。もうひとつは、イモータリティ(いつかは死ぬべき運命)であることの自覚。これが中年ぐらいになるとそのときの発達課題である世代継承性ともかかわる。「わたしが、わたしが」と言って生きるのでなく、次の世代にまで残るような何を生み出したいのか、誰を育てながら誰とともにそれを実現するのか。やる気は確かにものすごく大事なのだが、中年になるころには、使命感、意志力、長期的な夢も問われる。そして、日々はといえば、課長、部長ともなれば実際に忙しい(あるいは、忙しいふりに忙しい)。「この世に、つぎの世代になにを遺したいのか」という問いは、やがて死すべき、だれもの運命が自分にもあてはまることの深い自覚と密接だ。若い読者にはまだピンとこないかもしれないが、そういう自覚を深めるのが中年の頃でもある。2 つの指針とは、要するに内省と意味づけだ。そこから生まれる使命感、やっていることの意義が、簡単にはあきらめない意志力を人にもたらす。
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