連載:キャラクター経済圏~永続するコンテンツはどう誕生するのか(第24回)
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「アニメ化成功」衝撃の効果、コミック売上どれだけ増えた?
雑誌で読者のすそ野を広げて、コミックで売上を回収する、という現在では当たり前のモデルを“発明”したのも、ドラえもんからだ。学年誌連載で人気作品になっていたとはいえ、最初期のコミック5~6巻までの売上は1巻あたり10~20万部が関の山。ピーク期の1973年時点で、小学1~6年生をすべて合わせて約500万人が「毎月読んでいる」状態だったが、そのうちコミックまで購入するのは2~3%といったところ。
それが劇的に変わるのは1979年。2回目のアニメは大成功で、それまで累計450万部だった『ドラえもん』のてんとう虫コミックスの売上は1年であっという間に1900万部に到達。「ドラえもん18巻」初版100万部に到達した1978年は「キャンディキャンディ7巻」も初版85万部と、コミック市場が切り開かれたタイミングである(出典:中野晴行.マンガ産業論.筑摩書房,2004年、二上洋.少女まんがの系譜.ぺんぎん書房,2005年)。
2005年、ついにマンガ誌市場をマンガコミック市場が抜くことになるが、1980年当時はまだマンガ雑誌が1,663億円、マンガコミックが577億円で1/3の規模であった。それが1981年「Dr.スランプ6巻」で初版220万部から1994年「SLAM DUNK21巻」の初版250万部と急増し、1990年頃にはコミック市場はマンガ雑誌市場の2/3にまで成長し、ついには凋落するマンガ雑誌の市場をコミックスが凌駕するようになるのだ。
そうしたコミック時代を切り開いたのが、ドラえもんだったと言っても過言ではないだろう。
『ヤングジャンプ』『コロコロコミック』時代の市場変化
1970年代には分断されていた子供/青年/大人の娯楽は、1980年代にテレビ、アニメ、そしてマスメディア化する雑誌の力によってどんどんと広範なものになっていく。
そうした中で、1979年の機動戦士ガンダムなどを皮切りに「ヤングアダルト」と呼ばれる青年期でもマンガ・コミックなどにお金を使う層が生まれていく。実際に「青年漫画誌」が発行されるのは『ヤングジャンプ』(1979年)『ビッグコミックスピリッツ』『ヤングマガジン』(1980年)などこの1980年前後の話なのだ。
そういう意味では、学年誌で分断されていた子供の世界をつなぎ合わせ横断させた『コロコロコミック』の貢献に言及しないわけにはいかない。
1977年5月、コロコロコミック創刊号はそもそも200頁も掲載され、その表紙を飾っていたのがドラえもんであり、いくつかほかの作品も掲載はされているものの、コロコロは明らかに「ドラえもん+α」で始まった雑誌と言えるのだ。
『ゲームセンターあらし』や『とどろけ一番』などヒット作が生まれる2~3年の間の発射台になっていったのがドラえもんで、初代編集長の千葉和治氏も「『ドラえもん』がなかったら『コロコロコミック』も生まれていないんですから」と明言している(出典:渋谷直角.定本コロコロ爆伝!! 1977-2009『コロコロコミック』全史.飛鳥新社,2009年)。
1986年、藤子・F氏が胃がんを患ってからは、連載頻度は落としたり再録を増やしながらも、1996年に逝去するまでずっと描き続けていたのがコロコロであった。
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