連載:キャラクター経済圏~永続するコンテンツはどう誕生するのか(第9回)
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世界中から愛される「ポケモン」が1996年の誕生から現在までの間に稼ぎ出した金額は、大企業のそれに匹敵する。映画で18億ドル、ゲームで200億ドル超、グッズ・商品化で800億ドルなど、累計経済規模は1,000億ドル(約13兆円)に達する。単純平均すると、毎年5,000億円を25年間稼ぎ続けたことになる。企業で言えばフジ・メディア・ホールディングスや森永乳業、東武鉄道といった企業体と同レベル、またキャラクターの世界で言えば、ハローキティやスターウォーズ、さらにはミッキーマウスを上回る。つまり、人類史上最も消費のすそ野を広げたキャラクターと言えるのだ。今回は、そんなポケモンが商業的成功を収めることができた理由を、売上の内訳を見ながら徹底解説する。
ポケモンにまつわるギネス記録の数々
ポケモンにまつわる数字はあまりに大きすぎ、残してきた記録の膨大さは、まるで「ギネスの海」と言えるほどだ。たとえば、スマホゲーム『Pokemon Go』は世界ギネス5冠、大元のポケモンの家庭用ゲームもまたギネス5冠を記録している。
■『Pokemon Go』のギネス記録
- 初月で最も収益をあげたモバイルゲーム
- 初月で最もダウンロードされたモバイルゲーム
- 初月ダウンロードでランキング首位となった最多国数
- 初月モバイル売上でチャート1位獲得の最多数国
- 最も早く1億ドルに到達したモバイルゲーム)
■家庭用ポケモンゲームのギネス記録
- 最も売れた戦略ビデオゲーム
- TIME誌の表紙を飾った最初のビデオゲーム
- 3DSで最初に1億本売れたビデオゲーム
- 事前予約数が最も多かった任天堂DSのビデオゲーム
- 最も売れたRPGビデオゲームシリーズ
ポケモンカードゲームにおいては、YouTuberのLogan Paul氏が2022年7月に527万ドル(約7億円)でポケモンカードを落札し、これがまたまたギネス記録となっている。
また、ゲームから生まれたキャラクターとしては、任天堂の中でこそスーパーマリオの総売上5.6億本に及ばないポケモン(4.4億本)だが、映像・商品化など、派生した商流を含めた売上で比較すると、間違いなく歴代ゲームキャラクターNo.1はポケモンである。
ポケモンを生んだ1枚の企画書
この人類史の金字塔とも言えるキャラクターは、当時25歳、たった1人のゲームプランナーから生まれた。
1990年秋に『Capsul Monster』の企画書を任天堂に持ち込んだ田尻智氏は、当時社員2人の開発会社ゲームフリークの社長でしかいなかった。任天堂は当時売上4,700億と、すでに世界1位クラスのゲーム会社であったが、このベンチャー企業が持ち込んだアイデアに可能性を感じ、開発費を出すことになった。
しかし、構想が膨らみ1年が経過しても開発しきれない田尻氏に対し、任天堂サイドは急かすわけでもなく、むしろファミリーコンピュータ・ゲームボーイ用のゲームソフト『ヨッシーのタマゴ』という別のゲームの企画に携わらせ、田尻氏に“成長”の機会を与え、その完成を待ち続けたのだ。
このことは、現在にいたる伝説をさらに輝かせる美しいストーリーだ。創業時からのポケモンのデザイナーを務める杉森建氏の言葉がそれを象徴している。
“ポケモンは、ノウハウがないと大変だということがわかってから、難航しそうな予感があったので、のんびり作っていたということもありますね。忘れ去られていたと言いますか、手の空いたスタッフでたまにいじくっていたという感じで、何年かたっちゃったんです…当時は、任天堂にとってもポケモンはあまり重要なプロジェクトじゃなかったので、何カ月後までに完成させろっていうようなことが、あまりきつくなかったんですよ”
(出典:畠山けんじ・久保雅一『ポケモン・ストーリー』日経BP2000)
1992年に一度ストップした開発が「再開」されるのは1994年半ば。そして1年半ほどかけて1996年2月にゲームボーイ用ロールプレイングゲーム『ポケットモンスター(赤・緑)』が完成したときでも、ゲームフリークは社員9人の会社にすぎなかった
(注1)。
注1:“特集ゲームフリーク30年の歴史” 週刊ファミ通2019年5月9日発売号
ディズニーではあり得ない?ポケモンの日本的な特徴
日本のキャラクター作りは「連携と調和」にある。ポケモン“原作”として著作権を保有しているのは巨大企業の任天堂だけではない。
任天堂に加え、当初2人だけの企業であった「ゲームフリーク」、テレビ番組・出版プロデューサーの石原恒和氏(現:ポケモン 代表取締役社長)による会社「クリーチャーズ」の3社である(現在のポケモン社は、任天堂・ゲームフリーク・クリーチャーズの3社の共同出資で1998年に出来上がっている)。
とはいえ、アイデンティティの問題として、何者かに従属せずに自らが100%オーナーシップを持って動くためにも、3社が合併することはなかった。そして、それをそのまま見守り続けた大資本の任天堂もまた、影の功労者だろう。株式関係のない会社同士がプロジェクトで頭を突き合わせ、明日もしれぬ状態でアイデアを絞り続けたわけだ。
このポケモンのモデルは、原案を持つ作家を尊重し著作権をシェアしながら一緒に大きくなる日本的な仕組みだ。これはまさに、出版社が作家から著作権そのものは買い上げないマンガ制作の仕組みや、権利分散を常とするアニメ製作委員会などに代表されるモデルであり、米国型のDisney社では考えられないモデルだ。
「米国は社長がリーダーシップをもって率いる組織」という印象があるかもしれない。だが米国こそ、異種混合の中で経営者から現場まで誰が入れ替わっても組織体が維持できるよう、構造から逆算して人が当てこまれているレンガ型組織だ。
カリスマ経営者であっても、またその配役の1つでしかない。だが日本は「会社≒人格」であり、属人的な人のタイプに合わせて組織・役割が後付けされる石垣型組織だ。トップが自分の個性を存分に表現する主体であり、だからこそ会社が分散連携しながら、1つのIPを共同所有するような「曖昧で権利意識が希薄な」体制となる。信頼感がなくてはできないスタイルであり、契約に疎い日本人の甘さともとられかねないが、事実この曖昧な著作スタイルが多くのキャラクターを生み出してきた。
ここからは、ポケモンが売上を大きく伸ばし始めた理由と、一度低迷したポケモンが復活を遂げることができた理由を解説する。
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