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- 2016/04/25 掲載
【櫻澤誠氏 寄稿】「沖縄現代史」をどのように捉えるのか
知られざる沖縄の歴史
「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(2007年9月29日)、「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し国外・県外移設を求める県民大会」(2010年4月25日)、「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」(2012年9月9日)に象徴される超党派による「島ぐるみ」の運動は、「オール沖縄」と呼ばれる政治潮流を生み出し、2014年11月の沖縄県知事選挙で翁長雄志(現知事)を当選させる原動力となった。「島ぐるみ」に込められる意味合いは、時代によって変遷するが、ひとまず、“沖縄住民の大多数の賛意を基盤とし、超党派によって組織された行動もしくはそれを目指す志向”とは言えよう。これまでの沖縄現代史は、民衆運動を軸に書かれているものが多く、そこでは保革対立が前提とされてきた。しかし、こうした歴史像では、2007年以降の動向の前提を十分に説明できていないように思われる。それは単純化して言ってしまえば、保守勢力の動向を十分に捉えることができていないからである。そのため、沖縄の保守本流から出てきた翁長現知事らの動向の歴史的前提がほとんど説明できないのである。
拙著の枠組みを踏まえながら、以下、現在の沖縄が直面している状況をいくつかの論点に絞って述べてみたい。
沖縄の「保守」と「革新」
少し細かくなるが説明を加えよう。連合国軍(主に米軍)の間接統治を受けた日本(本土)と分断され、米軍による直接統治を受けた沖縄は、戦後日本とは全く異なる道をたどった。たとえば、1947年に相次いで結成された沖縄民主同盟、沖縄人民党、社会党、1950年に結成された沖縄群島政府知事・平良辰雄の与党である沖縄社会大衆党とその対抗勢力による共和党、1952年に琉球政府初代行政主席・比嘉秀平の与党として結成された琉球民主党などは、いずれも本土の政党とは別の文脈で組織化された沖縄独自の政党だ。それらが幾度かの政界再編を経て、復帰/返還が少しずつ近づき、本土と沖縄の関係が密接になるなかで、次第に本土の政党に系列化されていったのである。もちろん、そうした事態は政党にとどまらず、労働組合や諸団体、さらには経営者団体などにも当てはまる。
そのような系列化が進んでいく際に、「保守」と「革新」という言葉がどのように各政党・各団体などに当てはめられていったのか。当時の地元紙を通して、それを推察できよう。たとえば、『琉球新報』を年代順に見ていくと、戦後初期から米国の視点での国際情勢や占領下日本の動向に多くの紙面が割かれており、それを参照軸としつつ沖縄の位置が示される構図となっている。また、映画全盛時代の1950年代には洋画とともに邦画の広告が所狭しと並び、遅くとも1953年には大相撲の結果が掲載されるようになる。米軍占領下にあっても、沖縄社会はメディア等を通じて日本(本土)の影響を強く受けていた。そうしたなかで、沖縄独自の政党や諸団体に対しても、日本における「保守」「革新」という色づけがなされていったのだ。ただ、その際注意しなければならないのは、この色づけは日本から沖縄への一方向的なものではなく、逆に沖縄側の各政党や諸団体が日本側との関係性の強化を求めて自己内面化していく側面をも持っていた点である。
そして、返還前の1960年代後半、本土と同様に沖縄でも保革対立の軸が明確になっていった。こうして、「保守=基地依存派」、「革新=基地反対派」といった二項対立で沖縄を捉える視点が固定化されていく。この視点は、歴史を遡り、戦後初期から一貫してこのような対立の構図があったという理解を広めてもいく。さらに、少なくとも革新側はそれを強く主張していく(「基地依存派」とはあくまでも革新側から保守側に対するレッテルである)。それによって、保革対立軸が明確となる以前の「保守=基地依存派」、「革新=基地反対派」では単純にくくれない多様な歴史的事実が見えにくくなってしまった。翁長知事が繰り返し主張する「イデオロギーよりアイデンティティ」とは、そうした状況を崩そうとする政治スローガンだといえる。
それでは、そうした多様な歴史的事実とは何か。以下では「軍用地問題」や「基地と経済」に即してさらにみていく。それは近年の「オール沖縄」にいたる「島ぐるみ」の歴史的な源流をたどることにも繋がるだろう。
軍用地問題をめぐって
太平洋戦争時の米軍にとって、沖縄は日本本土に対する最前線基地の構築を行う場所であった。沖縄戦の最中にも、米軍は占拠した基地の修復や拡大を着々と進めている。現在の普天間飛行場はその一つである。この飛行場は、当時の宜野湾村の村役場や国民学校、郵便局などのほか、多くの民家が建ち並んでいた地域を一方的に接収したところに作られている。決して無人の荒野に作られたものではない。沖縄戦下、生き延びることができた住民は各地の収容所に入れられた。収容所に入れられた間に土地を接収された住民は、解放後に帰るべき場所を失った。やむなく移動して各地に仮住まいした住民は、その補償もない上に、移住地で借地料を請求されることになる。当初から軍用地料が十分に支払われていたわけではなく、実際は正反対の苦しみを味わっていたのである。こうした事態に対して、1951年4月頃から各地を回って軍用地料請求の署名運動、新聞への投書や沖縄群島議会への陳情書を提出するなどの取り組みが始まる。その中心にいたのが、のちに立法院議員や沖縄市長などを歴任し、沖縄保守政治家の重鎮となっていく桑江朝幸であった。
軍用地問題が争点になっていったのは、米軍の沖縄統治機構である米国民政府が1953年4月3日に「土地収用令」を公布し、契約に応じない軍用地主に対して、布令という「正当」な法的手続きに基づき強制使用を行う方針を打ち出したためだ。そして、実際に翌月には真和志村安謝、銘刈で強制収用が実施される。そうした状況を受けて、立法院議員や各市町村長・議会議長など地域支配層の協議によって、6月16日、市町村土地特別委員会連合会(土地連)が発足し、その会長に35歳の桑江朝幸が抜擢される。以前から軍用地料請求運動などを展開してきた桑江が適任とされたのである。だが、さらに12月の小禄村具志など米軍の強制収用は続き、1954年3月には「軍用地料一括払いの方針」が発表される。米軍は、低額で一括払いを行うことで、更新手続きやその都度の地代増額などの負担を取り除き、基地運用の円滑化を図ろうとしたのである。
4月30日、立法院は「軍用地処理に関する請願」を全会一致で採択し、「土地を守る四原則」(一括払い反対、適正補償要求、損害賠償請求、新規接収反対)を打ち出した。さらに、その実現を期すため、琉球政府行政府・立法院・沖縄市町村長会・土地連によって四者協議会が発足する。その後の詳細は省くが、「土地を守る四原則」による「島ぐるみ」の結束は、1956年6月の「プライス勧告」で沖縄側の要望が無視されたことに端を発する島ぐるみ闘争を生み出す。
ただ、そうしたなかでも桑江は1954年5月、「吾々連合会は結成当初より作戦基地としての沖縄の性質と作戦に必要なる施設とその用地は止むを得ずごく少ない貴重な財産ではあるが、貸与せねばならない立場にある事を理解し琉球政府としてもそれを断り得る力を有さないとする行動の原則を再確認している事は世人の認めるところである」(『琉球新報』1954年5月24日夕刊)と論じていた。
島ぐるみ闘争といえば、単純に反基地闘争をイメージしがちである。だが、「土地を守る四原則」は既存の米軍基地存続は前提としつつも、軍用地料の一括払い反対だけでなく、土地代の適正補償、米軍が与えた損害への適正賠償、新たな土地の接収反対を加えたものである。基地そのものへの反対を掲げたものではない。これは米軍統治下のなかで住民が一致団結して抵抗可能なギリギリの異議申し立てであり、だからこそ保守勢力を含めた「島ぐるみ」の団結が可能となったのだ。
現在、翁長知事を含め、沖縄保守政治家は、沖縄県が日本の一員、一地域であることを前提とし、日米同盟の重要性を認め、必要な基地については同意するという立場をとっている。その上で、合理性のない不必要な基地の整理縮小を求めている。「オール沖縄」は、こうした整理縮小論に従来の革新勢力をも包摂することによって成り立っている。1950年代半ばの「島ぐるみ」の運動からは、現在の動向の歴史的源流を確認できるであろう。
【次ページ】 基地と経済、沖縄現代史を知る意味
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