0
会員になると、いいね!でマイページに保存できます。
ハードとソフト両面の「シンプル イズ ベスト」
――Amazon.co.jp内で文芸誌を創刊するという試みはもちろんですが、無料でこの豪華なラインナップというのが最も衝撃だったかと思います。一見バラバラにも思える執筆陣の選定意図は何なんでしょうか?
浅井氏■そもそも自分にとって本(=テキスト)というのは、いつどんなときも「立ち返る場所」という認識で、何かをもっと理解したいときや、自分がすでに持っている価値観では立ち行かなくなったときにはもちろん、どうも自分の頭や心がうまく動いていないと感じられるときにスイッチを入れてくれるものとして欠かせないものと思っていました。そういうことを可能にしてくれる、別の言い方でいえば、「ひとの根源的な力を目覚めさせてくれる」力を持った人に執筆をお願いしました。
――読者としては、いわゆる純文学一辺倒ではないながらも他の作家さんとは一線を画すような、個性的な、だからこそこだわりが強そうな方々が揃っているように思ったんですが。
浅井氏■確かにこだわるべきことにはどこまでもこだわる方ばかりですね。そのこだわりというのは、自分が発信していくことの使命みたいなものを自覚されていて、かつ「ちゃんと読者に届ける」ということに意識的という意味でですが。だからたとえば、むやみに「小説は縦書きで見せるべきだ」とか「自分は目次の何番目に置かれるのか」なんていうことをおっしゃった方はひとりもいませんでしたし、こちらが提案する、「従来の慣習や方法論からは離れて、すべてのことにおいてゼロから最善の形を考えていきたい」という申し出にはみなさま心から賛同して、完全に任せてくださいました。
――確かに、作家さんのなかには絶対に縦書きで読ませたいなどの要望を持たれていそうな方も少なくないような印象があります。
浅井氏■当然そうおっしゃる方もいるだろうと予想していましたし、その方にとってそうである必然があればこちらももちろんできることを探りたいと思っています。でも、今回それぞれの方とお話を詰めていくなかで実感しましたが、書き手の方々のほうがむしろ、形式に固執したりはしないんですよね。たとえば、先日、インタビューという形でご登場くださった作家の古川日出男さんとお話ししながらも感じたのですが、古川さんは「見せ方」に対する意識が非常に高い方です。でもそこで大切にされているのは、「読者にどれだけ伝えられるのか」という一点に尽きる。むしろどういうやり方でもいいからより伝わりやすい工夫をしてほしいと望んでおられるわけで、だから編集部のやるべきことはただひたすらベストな方法を考えることだけでした。
また、もともと私自身、Webに詳しかったわけでなくリテラシーも低かったので、ある種のかっこいいWebサイトというものが、慣れない読者にとっていかに取り扱いが難しいかよくわかっていて(笑)、それで、余計なものを極力削ぎ落した携帯電話でいうところの「らくらくフォン」のようなサイトにしたいなと思っていました。煩わしさのない、シンプルなサイトにしたいなと。おかげさまで、ネットに不案内な方もたくさん読んでくださっているみたいでホッとしています。
――外見と中身のシンプルさをひたすら追求していったんですね。そしてこれはコンセプトに深く関わってくると思いますが、どうして名前の考案を、内田樹さんにお願いすることになったんでしょうか?
浅井氏■私は個人的に、内田さんの思想にすごく影響を受けていて、特にいつも、根本的に考え発想するということ。そして、絶対に自己完結させないで、ドアを開けておくこと。人とつながり、「交換」したいという欲求を大切にすること。そういうことをすごく意識してきました。新しく立ち上げる場所はまさにそういう理念を具現化したものにしたかったので、名前はぜひとも内田さんにつけていただきたいと思ったんです。
――サイトにも書いてある通り、「他者と交換すること」を主眼とした場所だからですね。
浅井氏■はい。それで、内田さんにご相談したところ、即答で「『マトグロッソ』がいいよ」と。『マトグロッソ』の原義はポルトガル語で「深い森」。原初の、物事が発祥する場所という意味合いをも持つ言葉なんです。「まさにそれだ!」と思いました。いまあらためて実感していますけれど、名前の影響ってすごく大きいですね。創刊してからも、「ここはどういう場所であるべきか」と考える機会はたくさんありました。原稿を依頼するとき、いただいた原稿を判断するとき、さまざまな迷いが生まれたときはいつもこの名前に立ち返ります。ここは原初の森だぞと。それに足るものが生み出されているかなと。
あと、「マトグロッソ」って、「インディオたちが『これ、そのうち何かの役に立つかも』といろんなものを拾い集めておく森」として内田さんがよく例に出される場所なんです。「これ」が何に役立つのか、いまの「私」や「状況」ではわからない。でもそのときがきたらきっと役に立つ。この『マトグロッソ』も、読者にとってそういう場所であってくれたらいいなと思っています。