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- 2016/12/13 掲載
リコーの次の一手は「IBM Watson/IoTとの連携」 領域を超えてビジネスチャンスを掴め
連載:「デジタル革新」実践企業のノウハウ
困りごとを解決する「即応チーム」を編成し、現場に駆けつける
野中氏:ええ、あります。リコーではテクノロジーセンターと呼んでいる研究開発拠点が、欧州にはロンドンとデュッセルドルフ、米国にはニュージャージーとフィラデルフィアにあります。アジアパシフィックにはシンガポールに拠点があります。これらは前回の冒頭でご説明したとおりです。1992年から始まったデジタル化の際に、デュッセルドルフにセンターを置いたのが始まりでした。
2000年から複写機がオープンアーキテクチャプラットフォームになり、パートナー企業にいろいろなソリューションを開発してもらったり、商談に合わせて現地でさまざまなものを開発していく体制になりました。あくまでOne to Oneでの対応ですが、とにかく現地でサクっとつくってしまう。今度はグローバルで展開するために、本社でちゃんと商品化するプロセスも用意しています。
野間氏:それが貴社の1つの強みになっているわけですね。もともと日本でも、営業担当がお客様のご要望を聞いて、ご提案していくことは、そう簡単なことではありません。それを世界同質の水準で進めていくために、ご苦労がありませんでしたか? どうやってこのような能力を広めていったのですか?
野中氏:これは、個別の相談に対応しながら、1つずつ積み上げてきたとしか言いようがありませんね(笑)。私自身が米国に赴任していた際、1つのテーマとしていたのが、あるグローバル企業で受注したプリンティング環境を世界中に同一品質を保って提供することでした。現地の担当以外に、各地域に拠点を持つグローバル企業向けの商談の統括を行う部隊が本部にもあり、トップのマネージャーがお客様の困りごとをグローバル単位で把握し、戦略を練っていました。
野間氏:これはトップダウンでリーダーシップを発揮したから実現できたのでしょうか? テクノロジーセンターを設け、ベストプラクティスをシェアする仕組みづくりもトップダウンで実施したのですか?
野中氏:大手のお客様のグローバルな商談は基本的にはトップダウンで決めています。ただし、テクノロジーセンターを設けたときは、トップダウンとボトムアップの両方です。当時、私は欧州でマーケティングを担当し、開発部隊と一体になって仕事をしていましたが、その際の最も大事な考え方は、とにかく設計者が現場に出て、お客様の要望を聞いてくることでした。
そのために開発部隊による「即応チーム」を編成し、何か起きたら現場に駆けつけました。そして、どこに問題があるのかをすべて潰し、それをフィードバックしていました。このような体制がデジタル機器の立ち上げの肝になっていました。実際に製品もどんどん良くなっていきました。それをもっと組織として体系化し、具現化していったわけです。
野間氏:すると新商品の提案は、営業やマーケティングと設計が一体になり、どんどん積極的に実施していくことになったのですか?
野中氏:ヨーロッパの事例においても、日本からビジュアルコミュニケーションの設計者を赴任させたのです。商談を1年ぐらい続けていたのですが、設計の人間が半年間、お客様の職場で席をいただきました。彼は、お客様の仕事の仕方やコミュニケーションのお困りごとを実際に見聞きしながら、仕事をすることができ、商談が成立したときは、すでにその企業の社員のようになっていましたね。ですから何かあった場合は、彼を通じてコミュニケーションが取れるようになりました。お客様と直接接点を持って仕事をやると、もう化学反応といえるぐらい、ものすごいパワーを発揮できるのです。
野間氏:そういう活動に、特別な名前はついているのですか。
野中氏:当社では、「お困りごと」、これを解決する「お役立ち」という言葉がずっと受け継がれ、企画や営業のみならず、設計者も顧客に行く。そこでお困りごとを把握し、解決策を提案することが基本行動になっています。
【次ページ】 IBM Watson/IoTとの連携がいま「面白い話になっている」
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