『サラリーマン漫画の戦後史』著者 真実一郎氏インタビュー
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新聞の部数拡大とサラリーマン漫画の登場
――小説、映画ときて、サラリーマン漫画の登場はもっとあとになるわけですか?
真実氏■僕は1962年に連載が開始されたサトウサンペイの『アサカゼ君』が最初の連載サラリーマン漫画と解釈しています。これは、のちにサトウ先生が1965年に朝日新聞で連載を始めた『フジ三太郎』の原型です。東海林さだおのインタビューを読んでも、この『アサカゼ君』の影響を受けてサラリーマン四コマ漫画を書き始めたと言っていますね。
――高度経済成長期に、新聞の部数が増え、同じようにサラリーマン人口が急増する。新聞はサラリーマンの御用達メディアとなって、そこにサラリーマン漫画が登場したと。
真実氏■それ以前の新聞の四コマ漫画って、『サザエさん』に代表される「家族もの」が中心でした。それが、『フジ三太郎』以降、週刊誌などでもサラリーマン漫画が次々に登場するようになります。新聞漫画のもともとの役割である、風刺的な要素も多いけれど、フジ三太郎にはサラリーマンの日常のボヤキがスマートに表現されています。一方で、今ではとても掲載できないようなセクハラ描写もたくさん登場しているわけですけど。
――四コマ漫画ではなく『課長 島耕作』のようなストーリー漫画が出てくるのは、青年誌の創刊が相次ぐ70年代末から80年代にかけてですか?
真実氏■青年誌の創刊ブームの背景には、少年時代に漫画で育った団塊世代が、サラリーマンの中核世代なったことが挙げられます。漫画を読むサラリーマン世代がターゲットになるのであれば、そこでサラリーマン漫画がジャンルとして定着するのは必然ですね。とはいえ、サラリーマン経験のない漫画家がサラリーマンのファンタジーを描くのって結構難しいようで、爆発的に増えたわけではありません。例えば集英社の『ビジネスジャンプ』ってありますけど、ビジネス的な漫画はほとんど掲載されていなかったりします。強いて言えば弓月光の『甘い生活』は、1990年に始まって現在も連載中という長期連載なんですけど、下着会社のサラリーマンを主人公としたサラリーマン漫画と言えるかもしれません。
――『釣りバカ日誌』『総務部総務課山口六平太』といった作品が始まったのも80年代前後の頃。これらを描いている北見けんいちや高井研一郎は、赤塚不二夫のアシスタントを経て漫画家デビューしているのに、その影響が見えづらい漫画家ですよね。それに、どちらも息が長い。サラリーマン漫画全般に、連載期間が長くて、それがこのジャンルの扱いづらいところだと思いますが……。
真実氏■赤塚不二夫という作家には、まったくサラリーマン的な部分はないですよね。そういったところから逸脱しているので面白いんですよ。一方で、サラリーマン漫画の描き手には、どこかサラリーマン気質があるような気がします。『総務部総務課山口六平太』や『釣りバカ日誌』って、コマの枠線から登場人物が一切はみ出ない描き方をしている辺りにも、サラリーマン的なきまじめさをすごく感じますね。そして、大きな変化もないまま、20年以上に渡って続くんです。サラリーマンの日常のように。そういったサラリーマンらしさというのは、弘兼憲史にも感じるんですね。弘兼先生のトークイベントに行ったことがあるんですけど、自分を前面に出しすぎずに、トーク相手の話をうまく引き出すホスト役が実にうまかった。有能なビジネスマンの気配りを彼からは感じましたね。
サラリーマンが「日本人の最大公約数」から退行した90年代
――80年代後半になるとバブル期に差しかかります。それを反映するサラリーマン漫画も登場してくる。本の中でバブル期に登場したサラリーマン漫画としては『ツルモク独身寮』を挙げていますよね。これは、高卒で家具工場にて働く登場人物たちの物語で、絵柄も洒落ていたし、少し新しい流れとして出てくる。
真実氏■工場勤務なんだけど、主人公たちは自分のことを「サラリーマン」と呼んでいるんです。最初期には仕事の場面も描かれていたんですが、中盤は海に行ったり、飲み会に行ったりという描写がほとんど。延々と会社のレクリエーションが描かれるんです。終盤になって家具デザイナーとしての夢という主人公の仕事への意識が描かれるようになる。この作品では、当時のフリーターになって夢を目指すのをよしとする「自分探し」的なメンタリティが描かれていたんだと思います。それは望月峯太郎の『お茶の間』も同じ。こちらも、初めはサラリーマンとして生きようとした主人公が価値観を変えて、そこから抜け出す話でした。サラリーマン的に延々と続く日常をあっさり捨てるという風潮が、この時代の漫画には見られます。
――一方、バブル期のエリートサラリーマンを描きながら、まったく陰鬱な展開を見せていた作品として、柳沢きみおの『妻をめとらば』を取り上げていますよね。
真実氏■『妻をめとらば』は、高学歴、高身長、高収入という、バブルの当時にもてはやされた“三高”をすべてクリアしたエリート証券マンの主人公が、結婚相手も見つからず、過酷な労働で日々疲弊していくという日常を描いた作品です。主人公は消耗しきって、30歳の誕生日に独身で独り暮らしである自分に絶望し、「オガーチャン、三十になっちまった!」と絶叫する……。晩婚化が進んだ今だったら、「30歳で独身、独り暮らしだから絶望する」っていう心理は理解されないでしょうね。人気漫画『モテキ』の主人公も、ちょうど30歳を迎えるという設定でしたけど。
――この本の中では、サラリーマンが「日本人の最大公約数」ではなくなる時代として、バブル崩壊後の日本社会を取り上げていますよね。それまでは、「退屈なサラリーマンとして生きること」の是非が問われていたのに、それ以後は、「サラリーマンにすらなれない僕たち」という、非正規雇用が拡大する時代がやってくる。もっともその社会の変化を反映したサラリーマン漫画というと、何になるのでしょう?
真実氏■僕もリアルタイムで読んでいた作品ではなかったんですけど、国友やすゆきの『100億の男』(1994~96年)は、バブル崩壊後の日本のサラリーマンを巡るあれこれが全部入っているような漫画なんです。主人公は、最初は残業もしないでデートに行ってしまうようなぬくぬくとした若いサラリーマンなんですが、親の作った借金を突然背負うことになって、勝ち負けがすべてのシビアな新自由主義的競争社会に放り込まれるんです。90年代のある時期までは、誰もがそのうち景気は回復して、また元のような時代に戻ると、心のどこかで信じていたと思うんですね。だけど、この漫画は、それを見も蓋もなく否定する。「失われた20年」を予見するメッセージを発していたと思います。