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- 2023/01/31 掲載
なぜインテルは世界一になれたのか? 日本にとっては悲劇、3番目の社員がした伝説の英断
連載:企業立志伝
過酷な少年時代と祖国との別れ
アンドリュー・グローブ氏(本来の名前はグローブ・アンドラーシュ・イシュトヴァーン。米国への移住を機に改名)は1936年、ユダヤ系ハンガリー人のジョルジュ・グローブ氏とマーリア氏の子どもとしてハンガリーで生まれています。父親は近隣の農家から牛乳を仕入れて乳製品に加工する製造販売業を営む中産階級の家庭でした。しかし、ユダヤ人であるグローブ一家は、第二次世界大戦中はヒトラーの大量虐殺への恐れ、戦後はハンガリーを支配した共産主義による弾圧などもあり、厳しい生活も強いられています。当時を振り返ってグローブ氏はこう話しています。
「私のハンガリーでの生活は、控えめに言いましても、つらいものでした。心の奥底で水に流せずにいるのは、6歳の頃に『ユダヤ人はイエス・キリストを死に追いやったから、片っ端からドナウ川に投げ込まれる』などという言葉を浴びせられたり、8歳の時に、とても仲の良い友達ができて、私がユダヤ人だと明かしたら、その友達の父親が、ドイツ軍が戻ってきた時に私を逃すまいと、細かい点まで紙に書き留めたりしたことです。私の人生はこのような経験にまみれています」(『アンディ・グローブ』上p2)
それでも何とか生き抜いたグローブ氏は1955年、ユダヤ人であることを偽ってブダペスト大学に進学しますが、翌1956年に起きたハンガリー動乱(ハンガリーで起きた自由化を求める暴動。ソ連軍によって弾圧される)により、事態は一変します。
ソ連軍が問答無用に若者たちを連行するようになり、ハンガリーにとどまることが危険だと分かったグローブ一家は「オーストリア国境を目指すべきだ」としてグローブ氏1人を国外逃亡させたのです。
米国へ移住、インテル共同創業者2人との出会い
1957年、国境を越えてたどり着いたオーストリアで軍用輸送船に乗り込んだグローブ氏は、ハンガリー人難民1715人のうちの1人として米国ブルックリンに入港、新たな一歩を踏み出すことになります。米国に渡ったグローブ氏は英語を学びながら、学費のいらないニューヨーク市立大学に通い、化学工学のコースを首席で卒業した後、カリフォルニア工科大学バークレー校で博士号を取得、1963年にフェアチャイルド・セミコンダクターに入社します。そこで出会ったのが、のちにインテルを創業するロバート・ノイス氏とゴードン・ムーア氏です。
【次ページ】裏に紆余曲折、インテル創業ストーリー
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