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- 2016/08/15 掲載
日本の官僚的組織は、なぜ戦後からずっと変わらないのか
バングラデシュ事件の惨劇に見る、「想定外」に対応できない日本
今年7月1日にバングラデシュのダッカのレストランで発生した人質事件では、日本人7人を含む20人が殺害された。殺害された日本人の中にはバングラデシュの交通ラッシュ緩和のための地下鉄建設準備の調査をする専門家らがいた。外国メディアによると、襲撃されたレストラン内に居合わせた日本人が、「私は日本人だ、あなた方に敵対するものではない」と叫んだが、あえなく殺害されたという。日本人の感覚ではバングラデシュは親日国であり、日本人を標的とするテロ組織の存在などは「想定外」のことであった。
実は事件の2日前の6月29日に、バングラデシュ政府とJICAとの間で、この地下鉄と毎年甚大な被害を出しているサイクロン水害対策を含む、6件の案件を対象にした総額1735億円に上る円借款の調印をしている。
日本政府は、これまでバングラデシュ政府に対して、40年もの間さまざまな形で開発援助を続けている。だからこそ、日本人が狙われるテロが起きるなどと考えたこともなかったのだ。だが、バングラデシュの実情は、政争が頻発する政情不安定な政治形態が続いているのである。
この国はインドがイギリスから独立した時にインドと分離し、同じイスラム教徒の国パキスタンの一部を構成する東パキスタンとして独立した。だが、1970年に巨大サイクロンによる洪水で壊滅的な被害を受けた際に、西パキスタン政府から冷酷な対応を受けたことで、パキスタンからの分離独立運動が起きた。そして、インドが東パキスタンを軍事支援した結果、バングラデシュとして独立を果たしたのである。
しかし、このほかにもイスラム主義政党も力を持っており、複雑な政局を作り出している。イスラム主義政党の中には、バングラデシュ独立の時にヒンズー教徒の国であるインドから軍事援助を受けたことを肯定せず、政府に対する反対運動を続け、政府の側はイスラム主義政党を激しく弾圧するという構図が現在まで続いている。
このような政治状況の中でも、日本政府は46年間一貫してバングラデシュ政府を支援し続けたのである。
反政府勢力にとっては日本が敵対国と見えてきたのは当然のことであろう。今回の事件は、硬直した日本の援助のあり方に鋭く突き付けられた刃であるとも言え、すべてを従来通り済ませて、現実に対する対処を先送りした、日本の官僚主義の結果ともいえよう。
【次ページ】「負けること」を先送りしたかつての戦争末期の日本
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